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神は、なぜ「行け」と言ったのか?アブラハムに隠された人間性の核心

  • 執筆者の写真: 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
    石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
  • 1月9日
  • 読了時間: 3分

神は、なぜ「行け」と言ったのか?アブラハムに隠された人間性の核心


神に選ばれる人間って、どんな人だと思いますか?


特別な能力を持ったスーパーヒーロー?

何も恐れない完璧な聖人?


僕が創世記を読んでいて、強く感じたのは、そうじゃないかもしれないということです。

神が選んだ最初の人物、アブラハムの物語をひもとくと、そこには意外な「人間らしさ」が浮かび上がってきます。


今日、僕が注目したいのは、彼の人生が大きく動き出した、たった一節です。


創世記12章1節。

神がアブラハム(当時はアブラム)に告げた、あの言葉です。


「主はアブラムに言われた。『あなたはあなたの生まれ故郷、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。』」(創世記12:1)


ヘブライ語で「行きなさい」は 「レフ・レハー(לֶךְ-לְךָ)」 です。

この表現、実はとても深いんです。

直訳すると「あなた自身のために、行きなさい」という意味合いを含むと言われます。


神は命令しているだけじゃない。

「あなた自身のための旅だよ」と、個人的で深い呼びかけをしているような響きがあるんです。


僕はここで考えさせられました。

神は、アブラハムの何を見て、この決定的な旅へと招いたのか?


アブラハムは、この時点では何も成し遂げていません。

大きな信仰の告白をした記録も、特にありません。

ただ、75歳という齢で、見知らぬ地へ「行く」という応答をした。その一点です。


彼の特徴は、完璧な「強い信仰」にあったのではなく、むしろ、不完全だけど「動き出せる」姿勢にあったのではないでしょうか。

神の声を聞き、不安や迷いがあったに違いないのに(聖書はその心情を詳細には書いていませんが)、それでも従い、一歩を踏み出した。


それが、神が彼の内に見出した「人間性」ではなかったかと、僕は思うのです。


神は、すべての答えを持った完璧な人間ではなく、不完全だけど、共に歩み始めようとする者を、ご自身の計画のパートナーとして選ばれた。

アブラハムの物語は、そのことを静かに、そして力強く教えてくれている気がします。


僕自身、自分の欠点や不安ばかりが目について、足踏みしてしまうことがあります。

でもアブラハムのこの一歩は、「すべてが整わなくても、まず応答する一歩を踏み出してみる」ことの尊さを思い起こさせてくれます。

神は、その一歩を待っておられるのかもしれません。


このアブラハムの旅の続きや、モーセ五書に描かれる神と人の驚くべき関係は、僕が漫画で描かせていただいています。

聖書の世界を、より身近に、視覚的に感じていただけたらという思いで、一コマ一コマを描いています。


気になった方は、ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。

無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。


僕も、この壮大な物語を学びながら、自分自身の「一歩」について、考え続けたいと思います。


 
 
 

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