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「怒りが爆発しそう…」そんな時に思い出したい、神様の“意外な習慣” 出エジプ
「怒りが爆発しそう…」そんな時に思い出したい、神様の“意外な習慣” 怒りがおさまらない時、ありますよね。 僕も最近、理不尽な出来事に直面し、心の中で怒りの炎が燃え上がったことがありました。 「どうしてこんなことを!?」と、そのことばかりを考えてしまい、なかなか気持ちが静まらない。 そんな時、僕はモーセ五書の中の、とある「神様の習慣」を思い出しました。 神様は、とことん「歩み寄る」方 出エジプト記の34章に、とても印象深い場面があります。 モーセが十戒を授かった後、民が金の子牛を造って偶像礼拝をするという大きな過ちを犯しました。 神様は当然、激しく怒られます。 しかし、その怒りの中でも、神様はモーセにあることをおっしゃるのです。 モーセが「どうか、あなたが私たちと一緒に進んでくださいますように」(出エジプト記34:9)と願うと、神様はこう約束されました。 「見よ、わたしは契約を結ぶ。…わたしが、かつて地のすべての民のうちでしたように、あなたのすべての民の前で、驚くべきことを行う。」(同34:10) ここで僕が注目したのは、神様の「歩み寄り」です。.

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2 日前読了時間: 3分
「大切な人ほど疑ってしまう」その心のワナ、創世記3章が教えてくれること
「大切な人ほど疑ってしまう」その心のワナ、創世記3章が教えてくれること 最近、ふと気づくことがあります。 親しい人、特にお世話になっている人に対して、なぜかふとした瞬間に「もしかして……」と疑う気持ちが湧いたり、理由もなくイライラしたりすることはありませんか。 僕自身もそんな経験があって、どうしてだろうと悩んだことがありました。 そんな時、ふと『創世記』の、あの有名な場面が思い浮かんだんです。 エデンの園で、何が起こったのか 創世記3章1節から5節に、こういう出来事が描かれています。 蛇が女(エバ)に近づき、神が「園のどの木からも取って食べてはならない」と言われたことについて問いかけます。 ここで、僕がとても大切だと思うヘブライ語の単語があります。 蛇がエバに言う言葉、「神はほんとうに、『園のすべての木の実を食べてはならない』と言われたのですか」という部分の「ほんとうに」という言葉。 これはヘブライ語で 「アフ」(אַף)という言葉が使われているんです。 この「アフ」には、「本当に?」「まさか?」という、根本を揺るがすような疑いや、ちょっとした嘲

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
6 日前読了時間: 4分
なぜ「たった一回」のミスで約束の地に入れなかった?モーセの岩を打った話から見る神との関係性
なぜ「たった一回」のミスで約束の地に入れなかった?モーセの岩を打った話から見る神との関係性 僕は最近、こんな自分自身の経験を思い返していました。 ついカッとなって、大切な人にきつく言ってしまった後、「ああ、またやってしまった…」と後悔する瞬間です。 その時、聖書の中のモーセの一つのエピソードが、以前よりも深く胸に刺さるようになりました。 民数記20章に記された「水が出る岩」 荒野を旅するイスラエルの民が、またしても水がないと不平を言い始めました。 その時、神はモーセにこう命じられます。 「杖を取り、兄弟アロンと共に民衆の前に進み出よ。彼らの目の前で岩に命じて水を出させなさい」(民数記20章8節、大意) ここでヘブライ語原文を見ると、神が命じた言葉に注目すべき点があります。 神は「岩に命じなさい」と言っています。 ヘブライ語で「命じる」を意味する「דַּבֵּר」(ダベール)は、言葉で語りかけることを指します。 つまり、神はモーセに「岩を打て」ではなく、「岩に言葉で語りかけよ」とお命じになったのです。 モーセの「二度打ち」 しかし、モーセはどうした

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
12月24日読了時間: 3分
ゼレドの川を渡る意味~約束の地への「本当の入り口」はどこにあるのか?
ゼレドの川を渡る意味~約束の地への「本当の入り口」はどこにあるのか? 聖書を読んでいると、細かい地理の違いに「なぜ?」と感じることがありますよね。 先日、読者の方からご指摘をいただき、僕自身もあらためて学び直したことがあります。 実は、約束の地への境界には重要な二つの川があるんです。 ヨルダン川とゼレド川、その決定的な違い 確かに、一般的に「約束の地に入る」と言えば、ヨルダン川を渡る場面を思い浮かべます。 ヨシュア記のクライマックスですからね。 しかし申命記2章13節を見ると、主がこう言われています。 「さあ、立って、ゼレドの川を渡れ。わたしたちはゼレドの川を渡った。」 この「ゼレドの川」を渡ることが、38年ぶりの決定的な一歩だったのです。 ここで、僕は地図を広げてみました。 すると、ゼレド川は死海の東側、現在のヨルダン国内を流れる川で、約束の地の東の境界線の一つでした。 一方、ヨルダン川はその西側、カナンの地そのものへの入り口です。 つまり、ゼレド川を渡るということは、「約束の地の境界地域に入ること」であり、そこからさらに進んでヨルダン川を渡り

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
12月22日読了時間: 3分
この一節に全てが詰まっていた。「申命記」って何の本?
この一節に全てが詰まっていた。「申命記」って何の本? 最近、僕はある一つの聖句にずっと引き込まれています。 申命記6章4節。 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。」 この言葉、ユダヤ教では「シェマ」と呼ばれ、最も大切な祈りの一つです。 「シェマ」とはヘブライ語で「聞け」という意味。 ただ音として耳に入れるのではなく、心を澄まして、全身で受け止めよ、という強くて深い呼びかけです。 「主は唯一」というヘブライ語は「アドナイ エハド」。 この「エハド」は、単なる数学的な「一」ではなく、調和した統一性を表す言葉だと言われています。 神はばらばらではなく、すべてを結び合わせ、関係性そのものであるような「一」。 この一節だけで、申命記、いや聖書全体の核心に触れる気がするのです。 僕がこの言葉に込められた重みを感じたのは、それが単なる教えではなく、約束の地を目前にしたモーセが、これから様々な誘惑や困難に直面する民に、何としても伝えたい「命綱」のようなものだったからです。 エジプトでの奇跡も、荒れ野での試練も、すべてはこの「聞く」姿勢と、唯一の神

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
12月21日読了時間: 3分
神が「不倫ダメ」と言った意外な理由~十戒の裏に隠された神はの願い
神が「不倫ダメ」と言った意外な理由~十戒の裏に隠された神はの願い 街を歩けば「不倫」という言葉を目にしない日はありません。 ニュースでも、ドラマでも、そして時には身近な人間関係の中でも。 「なぜダメなのか」 「本当に昔の戒めが現代にも通用するのか」 僕自身、聖書を学び始めた頃は、そんな疑問が頭をよぎりました。 神はなぜ、これほどまでに「不倫」を禁じたのだろう。 単に古い規範を押し付けているだけなのだろうか。 その答えを、僕はモーセ五書、特に十戒の一節をヘブライ語で読み解く中で、少しずつ受け取るようになりました。 今日は、僕なりの気づきを分かち合いたいと思います。 契約を破る行為~ヘブライ語が語る深い意味 出エジプト記20章14節。 十戒の第七戒は、こう記されています。 「姦淫してはならない。」 ヘブライ語原文では、 「לֹא תִּנְאָף(ロー・ティナアフ)」 この「ティナアフ」という動詞は、単に性的な過ちを指すだけではありません。 聖書の文脈では、特に「結婚という神の前での契約(ベリート)を裏切る行為」を意味する強い言葉です。...

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
12月17日読了時間: 3分
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