
たった一度の失敗で諦めていませんか?モーセが教える「もう一度」の希望
- 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)

- 1月4日
- 読了時間: 4分
たった一度の失敗で諦めていませんか?モーセが教える「もう一度」の希望
僕はよく、過去のあの失敗を思い出しては、立ち止まることがあります。
あの時、ああしていれば…。
そんな風に、一度の過ちが心を重くすることが、誰にもあるのではないでしょうか。
今日、僕が共に学びたいのは、申命記の二つ目のパラシャット、「ワーエトハンナン」です。
この部分は、モーセが民に語りかける、深く切ない言葉から始まります。
「ワーエトハンナン」という名前は、ヘブライ語で「そして、わたしは願い求めた」という意味です。
その言葉は、申命記3章23節に記されています。
「そして、わたしは主に願い求めた。『主よ、あなたは、あなたの偉大さとあなたの力強い御手を、しもべにお示しになりました。…どうか、わたしに渡って行かせ、ヨルダンの向こう側の良い地、あの良い山、そしてレバノンを見させてください。』」
ここでモーセは、約束の地を目前にしながら、自分自身は入ることが許されないという現実に直面しています。
彼はかつて、民の前に立つべき時に、岩を打つという命令に従わず、自分自身の方法で水を出してしまいました。
その一つの行為が原因で、約束の地に入ることを許されなかったのです。
それでも、モーセは「願い求めた」。
もう一度、チャンスをください、と。
彼の心には、どれほどの切実さと希望があったことでしょう。
しかし、主の答えは厳しいものでした。
「あなたは、このことについて、わたしに二度と言ってはならない」。
僕はこの箇所を読むたび、胸が痛みます。
モーセのような偉大な指導者でも、一度の過ちが大きな結果を招くことがある。
でも、彼はそれでも願い求めた。
その姿勢そのものに、深い教えがあるように感じるのです。
神はモーセに約束の地に入ることは許しませんでしたが、彼を無視したわけではありません。
代わりに、ピスガの頂からその地を見渡すことを許しました。
そして、彼の後継者ヨシュアを立て、民を導く任にあたらせると約束された。
モーセの使命は、彼個人の願いとは違う形で、確かに次の世代へと受け継がれていったのです。
ここから僕が学んだのは、「一つの失敗が全てを終わらせるわけではない」ということ。
確かに、モーセは自分の望んだ形では目標を達成できませんでした。
でも、彼の人生自体が無駄になったわけではなく、彼の祈りや指導は、確かに民の心に刻まれ、次の時代へと引き継がれていった。
私たちも、過去の失敗に囚われて、前に進むことを諦めてしまうことがあります。
「あの時ああしていれば」という思いが、足を引っ張る。
でも、ワーエトハンナンの物語は、たとえ結果が自分が望んだ形と違っていても、その経験や学び、そして何より「願い求める」その心自体が、何かを生み出す礎になることを教えてくれている気がします。
モーセは、最後まで民を教え、導き、神の言葉を伝える使命を全うしました。
彼の「願い」は、別の形で実を結んだのです。
今、あなたの中に「もう一度」願い求めたいことがありますか?
たとえ過去に失敗があったとしても、その願いそのものに意味があるのではないでしょうか。
神は、私たちの祈りを聞き、時には私たちの想像を超えた形で、その歩みを導いてくださいます。
僕自身、このモーセの姿から、謙虚に願い続けることの大切さを学び直しました。
これからも、一節一節を丁寧に読み、その中に隠されたメッセージを探求していきたいと思います。
もし、このモーセの物語や、申命記の深いメッセージにもっと触れてみたいと思われた方は、ぜひ僕の描いたマンガ版を読んでみてください。
マンガ版「申命記」はこちらで無料で読むことができます:
Amazonのページで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索するか、こちらのリンクから直接アクセスできます。
また、この「ワーエトハンナン」の部分を中心に、絵と朗読で味わえる動画も公開しています。
朗読絵巻「ワーエトハンナン」はこちら:
無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。
僕のマンガ版では、モーセのこの切なる祈りの場面も、心を込めて描いています。
共に学ぶことができれば、これ以上の喜びはありません。


コメント