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目の前の一人を大切にすると、人脈は自然と育つ アブラハムのもてなしに学ぶ、神が喜ばれる付き合い方
目の前の一人を大切にすると、人脈は自然と育つ アブラハムのもてなしに学ぶ、神が喜ばれる付き合い方 初めて会う人との会話が苦手だ。大人数の集まりに行くと、かえって孤独を感じる。そんな経験は、どなたにもあるもののようです。 創世記18章。へブロンのテレビンの木の下で、アブラハムはテントの入り口に座っていました。日差しが最も強くなる真昼時。そんな暑さの中、三人の旅人が現れます。当時の荒野の旅は命がけ。水も食料もなく、道に迷えばそのまま命を落とすこともありました。99歳のアブラハムは、その姿を一目見るや、自ら走り出迎え、地面にひれ伏します。年老いた体で水を汲み、パンを焼き、柔らかい子牛を用意してもてなす姿は、まるで最も大切な客人をもてなすかのようです。 創世記18章2節〜3節 「彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は見るや、すぐに彼らを迎えに天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏して言った。『お願いです。もし私があなたの心に適うなら、どうか私のもとを通り過ぎないでください。』」 ヘブライ語原文で注目されるのは、アブラハムが客人に対し

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3 日前読了時間: 4分


「顔を見るのも辛い」と感じた夜に、紀元前の家族が教えてくれたこと
「顔を見るのも辛い」と感じた夜に、紀元前の家族が教えてくれたこと 憎み合う前に距離を置くという、静かで痛みを伴う選択について かつてはあれほど親しかったはずなのに、今は顔を合わせるたびに心が波立つ。そんなやり切れなさを抱える夜は、どなたにも訪れるもののようです。 焼け付くような日差しの下、カナンの乾燥した大地。砂埃が舞う中、長年共に旅をしてきたアブラムと甥のロトの間に、重苦しい空気が漂っています。双方の家畜が増えすぎた結果、限られた井戸の水を巡って牧者たちの怒号が飛び交うようになったのです。かつては実の親子のように身を寄せ合って生きてきた二人が、やがて取り返しのつかない憎しみを抱き合う一歩手前に立たされていた、ひりつくような緊張感に満ちた場面とされております。 【章節明示とヘブライ語解説】 創世記13章9節。アブラムは甥のロトに向かって「あなたの前に全地があるではないか。わたしから別れてほしい」と告げます。この「わたしから別れてほしい(ヒッパレド・ナー・メアーラーイ)」の核となる「ヒッパレド(הִפָּרֶד)」は、「分かれる」を意味する動詞「パ

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
5 日前読了時間: 4分


呼吸が浅いと気づいた時に、四千年前の民が教えてくれること
呼吸が浅いと気づいた時に、四千年前の民が教えてくれること 瞑想中の「息苦しさ」から解放される、あるラビの視点 呼吸をしようとして、逆に息が詰まる。そんな瞬間は、どなたにもあるもののようです。静かに座り、意識を呼吸に向けようとすればするほど、かえって浅く、速くなっていく感覚。そのもどかしさは、瞑想をする者にとって幾度となく訪れるものなのでしょう。 今から約四千年前、エジプトを脱出したイスラエルの民は、過酷な砂漠の旅を続けていました。灼熱の太陽の下、先行きの見えない不安と、喉を渇かせる乾燥した空気。彼らの呼吸は自然と浅く、速くなっていたことでしょう。そんな中、彼らに与えられた天からの食物、マナ。毎朝、野面に降りるこの白い粒子は、彼らにとってまさに「命の息」そのものでした。 出エジプト記16章4節。 「主はモーセに言われた、『見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日その日の分を集めなさい』」 ここで「パン」と訳されているヘブライ語は「לֶחֶם(レヘム)」ですが、この言葉は単なる食物だけでなく、「食物」「糧」という意

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月1日読了時間: 4分


改訂版発売:旧約聖書「モーセ五書」を誰にもわかりやすく、簡単に。絵巻 旧約聖書 モーセ五書「申命記」新版第5巻 ショーフティーム Shofetim(申命記 第16章18節から第21章9節まで)
「あなたは裁きの基準を、どこに置くのか?」──社会の秩序と心の規範を描く、完全ビジュアル聖書 激動の現代に問いかける、古代イスラエルの「公正」の物語。 膨大なモーセ五書を「全章全節」漫画化するという前人未到の挑戦。 生成AIの力で紡ぐ『申命記』新版・第5巻 「ショーフティーム(Shofetim)」 が、ここに完結。 「正義の象徴は、なぜ目隠しをされているのか?」 「戦いにおける『木の実』の保護命令が、現代の戦時国際法に通じるって、本当か?」 旧約聖書の中でも、とりわけ「社会のルール」が詳細に綴られた『申命記』第16章18節~第21章9節。本巻が収録する「ショーーフティーム(士師たち/裁き主たち)」の箇所は、単なる古代の法律書ではありません。共同体を存続させるための**「知恵」と「譲れない一線」**が、これでもかと詰まった、人類初の「コンプライアンス(法令遵守)教科書」です。 ■ 本巻「ショーフティーム」の見どころと詳説 モーセは約束の地に入る民に対し、「ただ神に従えばいい」だけでなく、**「人間社会をどう運営すべきか」**を徹底的に教えます。この

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2月26日読了時間: 5分


眠れない夜にラビが教える3つの知恵 〜今夜から実践できる過ごし方
眠れない夜にラビが教える3つの知恵 〜今夜から実践できる過ごし方 午前3時。布団の中で何度も寝返りを打ちながら、時計の数字が変わっていくのを眺めている。そんな夜を過ごしたことはありませんか。 僕も時々、そういう夜があります。何かを心配しているわけでもないのに、なぜか目が冴えてしまう。そんな時、ユダヤのラビたちが伝えてきた知恵が、静かな光になってくれることがあるのです。 今日は、眠れない夜に役立つ3つのラビの教えをご紹介します。どれも今夜からすぐに実践できるものばかりです。 ラビの教え1:心を整える「シェマ」の知恵 最初の教えは、「聞く」ことから始まります。 ラビ・エリエゼルはこう言いました。「夜中に目が覚めたなら、まず耳を澄ませよ。世界は眠っていても、神の声は決して途絶えることはない」 これは詩篇119篇62節「真夜中に、私は起きてあなたに感謝します」という言葉に基づいています。 具体的な実践方法はこうです。 目が覚めたら、まず静かに呼吸を整えます。そして、外の音に耳を澄ませてみてください。遠くの車の音。風の音。あるいは、自分の心臓の鼓動。その一

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2月14日読了時間: 4分


依存に苦しむあなたに伝えたい、聖書のひとつの気づき
依存に苦しむあなたに伝えたい、聖書のひとつの気づき 僕もずっと、いろんなものに依存して生きてきました。 人からの承認がないと不安で、スマホがないと手持ち無沙汰で、未来への不安が眠れなくて。そんな自分を変えようと、むやみに自分を責める日々。 でも、ある時、出エジプト記の一節が、僕のそうした「依存」そのものを見つめ直すきっかけをくれました。 依存先の問い直し 出エジプト記20章3節。 「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。」 ここで「神々」と訳されたヘブライ語は「エロヒーム」。それは単に偶像を指すだけでなく、私たちが「頼ってしまうもの」「心の拠り所にしてしまうもの」すべてを含む言葉です。 聖書は、依存そのものを否定しているわけではないと、僕は感じました。依存したいというその心の動きそのものは、むしろ人間の自然な姿です。問題は、その依存の「向き先」なのだと。 アルコール、薬、SNSの「いいね」、特定の異性への執着…。それらは一瞬で安心を与えてくれます。でも、それらは同時に、私たちを狭く、不自由にしていく。まるで、出エジプト前のエジ

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2月11日読了時間: 3分


レビ記が教える「健全な自己愛」こそ、すべての人間関係の土台である
レビ記が教える「健全な自己愛」こそ、すべての人間関係の土台である 〜隣人を愛する前に、神があなたに願っている一つのこと〜 こんにちは、石川尚寛です。 モーセ五書をマンガに描く仕事をしながら、僕はあることに気づき続けています。 それは、神が与えられた掟の一つひとつが、孤立的な命令ではなく、 一本の見えない糸でつながっている、ということ。 特にレビ記19章。 「自分のように隣人を愛する」という18節の言葉は、 実はその前後の文脈から切り離しては、本当の意味を捉えられないのです。 今日、僕が深く洞察したいのは、 「健全な自己愛」と「周辺の掟」の関連性から見える、 神の驚くほど整合的な導きです。 レビ記19章を注意深く読むと、18節の前に、 実に具体的で生活に即した命令が連なっています。 「あなたの神、主を畏れなさい」(14節) 「心の中で兄弟を憎んではならない」(17節) そして、「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない」(18節) ここで僕が気づいたのは、神がまず「内的な態度」を整えるように 導いておられることです。 心の中の憎しみや恨

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2月10日読了時間: 4分


救いを阻むのは「かたくなさ」より「疑い」だった?【紅海の一歩前に隠された真理】
救いを阻むのは「かたくなさ」より「疑い」だった?【紅海の一歩前に隠された真理】 疑いが、かたくなさに変わる瞬間 僕がモーセ五書を読みながら気づいたのは、神の救いの道が閉ざされる直接的な原因は、単なる「心の重さ」ではなく、その根底にある「疑い」から始まる、ということでした。 かたくななファラオも、かたくななイスラエルの民も、その原点には、神の言葉に対する「本当に?」という疑いがあったように思えてならないのです。 そして、聖書はこの「疑い」が「かたくなさ」へと変わる瞬間を、実に鮮明に描いています。 ヘブライ語が語る「信じる」ことの重み 「疑い」の反対は、「信じる」ことです。 この「信じる」という行為を表すヘブライ語は 「アーメン(אמן)」。 語根の意味は「確かにする」「支える」「信頼する」です。 これは、単なる頭の同意ではなく、自らの存在をその上に据え、よりどころとする全人格的な「よりかかり」を表しています。 出エジプトの始まりの場面で、この「信じる」ことが問題になります。 神がモーセを遣わし、民に解放の約束を告げた時、聖書はこう記します。...

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2月6日読了時間: 4分


神は「独りはダメ」と言った。その言葉があなたを支える理由
神は「独りはダメ」と言った。その言葉があなたを支える理由。 神はなぜ、天地創造の時に「人が一人でいるのは良くない」と言ったのだろう? そして、人が名づけたものが、そのまま「そうなった」のはなぜ? 今日は、創世記のほんの一節から、深い気づきを得た話をしたいと思います。 すべては「よかった」のに、たった一つだけ「良くない」と言われたこと 天地創造の物語を読むと、神は光も、海も、空も、植物も、生き物も——すべてを見て「よかった」とされています。 けれど、一つだけ「良くない」と言われた瞬間があります。 それが、創世記2章18節。 「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助け手を造ろう。」 僕はここを読むたびに、ハッとさせられます。 すべてが完璧に造られた世界で、神ご自身が「良くない」と指摘したのは、人の「孤独」だったからです。 ヘブライ語で「良くない」は לֹא־טוֹב(ロー・トヴ)。 「トヴ」は「良い」「善い」「豊か」という意味です。 それが「ロー」(否定)と結びつく——神にとって、人が独りである状態は、世界の完成において「欠けている何か」だった。..

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2月5日読了時間: 4分


『漫画 モーセ五書 申命記 第4巻 レエー』の見どころ
『漫画 モーセ五書 申命記 第4巻 レエー』の見どころ 『レエー』(申命記 第11章26節~第16章17節)は、 祝福と呪いの選択 から始まり、モーセが約束の地を目前にしたイスラエルの民に向けて語る重要な教えが集約された部分です。以下が主な見どころです: 1. 祝福と呪いの分かれ道(11:26-32) 神の戒めに従うか否かによって、民の前に「祝福」と「呪い」の二つの道が提示されます。 ゲリジム山とエバル山 がそれぞれ祝福と呪いの象徴として登場し、後のヨシュアによる実行(ヨシュア記8章)へと繋がります。 2. 中央礼拝場所の指定(第12章) 約束の地に入った後、 礼拝は唯一の場所(後にエルサレム)で行うこと が命じられます。 これまで分散していた祭壇を一つに統合し、偶像礼拝との混同を防ぐための画期的な改革です。 「あなたの神、主が選ぶ場所」という表現が繰り返され、神中心の共同体形成が強調されます。 3. 偽預言者とそそのかし者への警告(第13章) 奇跡を見せても偶像崇拝へ誘惑する 偽預言者 には従わないよう厳しく戒めます。 身内や友人でさえ、偶像崇

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2月3日読了時間: 5分


「神は『私はある』と名乗った。奴隷の私たちに、今、ここにいてくれる神。」
「神は『私はある』と名乗った。奴隷の私たちに、今、ここにいてくれる神。」 エジプトで、神は自分のことをどう伝えてほしかったのだろう。 僕が『出エジプト記』を読んでいて、ずっと心に引っかかっていた箇所があります。 モーセが燃える柴の中から声を聞く、あの有名な場面です。 神はエジプトで苦しむイスラエルの民を救うために、モーセを遣わします。 でもモーセは恐れ、戸惑います。 「民が『あなたを遣わした神の名は何か』と問うなら、何と答えるべきでしょうか」(出エジプト記3:13) その問いに対する神の答えが、とても深いんです。 神はモーセにこう言われました。 「わたしはある。わたしはあるという者だ」(出エジプト記3:14) 聖書のヘブライ語原文では、ここは "Ehyeh Asher Ehyeh"(エヘイェ・アシェル・エヘイェ) です。 「エヘイェ」という言葉は、「存在する」「なる」「共にいる」といった意味を含む、「わたしはある」という動詞の一人称形なんです。 僕は最初、ここで不思議に思いました。 神の御名といえば、すぐに思いつくのは「ヤハウェ」です。...

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2月2日読了時間: 3分


「あの人の性根、変わらないよね」 神に怒りを止めてと懇願した人たち
「あの人の性根、変わらないよね」 神に怒りを止めてと懇願した人たち 「性根が変わらないと、もう無理」 僕は、誰かの過ちや悪い行いに対して、心の奥底でそう決めつけてしまう自分がいます。 全存在を否定したくなる。きつく罰しないと、また同じことを繰り返すだろう、と。 でも、モーセ五書を読んでいると、そんな人間の衝動とはまるで逆の方向に進んだ人たちの記録があることに気づかされます。 神ご自身が激しく怒り、滅ぼそうとされた瞬間に、 「どうか、お怒りにならないでください」 「どうか、やめていただけませんか」 と、懇願した人たちがいるのです。 神の「怒り」の前で 創世記18章。神はソドムとゴモラの悪が甚だしいことを知り、滅ぼそうとされています。 その時、アブラハムは神に近づき、こう言います。 「まことにあなたは、正しい者を悪い者といっしょに滅ぼされるのですか。」 (創世記18:23) アブラハムは神と「交渉」を始めます。正しい者が50人いたら?45人では?40人では?… 最後には「10人」のために、と懇願し続けます。 そして出エジプト記32章。...

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月30日読了時間: 4分


「あなたのため」という言葉に、ふと、ひっかかるようになりました。
「あなたのため」という言葉に、ふと、ひっかかるようになりました。 良かれと思ってしたことが、 実は「感謝されたい」という気持ちや、 「正しいと思われたい」という 自分自身のエゴだったんじゃないか。 そんなふうに、自分の心がチクッと刺さる瞬間が、 最近、増えている気がします。 「利他」という美しい言葉の裏に、 「押しつけ」が隠れていないか。 そんな問いを抱えながら、モーセ五書を読み返していました。 そこで、ある一節が胸に深く突き刺さりました。 創世記22章2節。 神がアブラハムに、最愛の息子を捧げるよう命じる、あの難しい場面です。 「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて……」 ここで「愛する」と訳されたヘブライ語は、 「アハヴ(אָהַב)」 という言葉です。 実はこの「アハヴ」、 聖書全体で人間が誰かを「愛する」文脈で使われるのは、ここが最初なのだそうです。 神はわざわざ、 「あなたが愛する」 と強調されました。 そのことに、深い意味を感じずにはいられません。 わたしたちは、愛する人や、正しいと思うことに対して、 無意識のうちに...

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月29日読了時間: 3分


「ヒネニ」と「アーメン」——小さな言葉に宿る、神との深い絆
「ヒネニ」と「アーメン」——小さな言葉に宿る、神との深い絆 僕は聖書を読むとき、時に、たった一言の言葉の前に立ち止まることがあります。 今日、心に引っかかっているのは、二つの小さな言葉。 「ヒネニ」と「アーメン」です。 この二つは、まるで対になるように、神さまとの関係の中で輝きを放つ言葉だと気づきました。 まずは「ヒネニ」から。 これはヘブライ語で「הִנֵּנִי」と書き、意味は「ここに私はいます」「お呼びでしょうか」。 神さまからの呼びかけに対して、「はい、私はここにいます。あなたのために何ができますか」と、全身全霊で応答する姿勢を表す言葉です。 モーセ五書の中では、アブラハムが息子イサクを捧げるようにという、あの難しい招きを受けたとき(創世記22章1節)、彼は「ヒネニ」と答えました。 また、神さまが夜、少年サムエルを呼ばれたとき(サムエル記上3章ですが、五書の精神に通じます)、彼も「ヒネニ。あなたのしもべは聞いています」と答えます。 この「ヒネニ」には、「私は完全にあなたの前にいます。私の全てを差し出します」という、信頼と委ねりの気持ちが込

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月28日読了時間: 3分


神は無関心なあなたに、今もこう叫んでいる
神は無関心なあなたに、今もこう叫んでいる 気づいていますか? 何も感じなくても、何も求めなくても、神の声は確かに届いているということを。 僕自身、聖書を読んでいて、時に無感動になることがあります。 毎日をこなすだけの日々の中で、神の言葉が遠く感じられるとき。 けれど、ある一節と出会ったとき、その思いが変わりました。 申命記30章19節──決断を迫る神の声 「私は今日、天と地をあなたたちに対する証人として呼び出す。私はあなたの前に命と死、祝福とのろいを置いた。あなたは命を選びなさい。あなたもあなたの子孫も生きるために」 この言葉は、モーセがイスラエルの民に語りかける最後の場面のひとつです。 ヘブライ語で「命」は「ハイイーム」、「選ぶ」は「バハル」。 ここで深く心に刺さったのは、神が私たちに「無関心でいる選択肢」を与えていないことです。 無関心も、実は選択なのだと 「バハル」──この「選ぶ」という行為は、能動的な意志を必要とします。 何もしないこと、無関心でいることさえ、実は私たちの「選択」の結果なのかもしれない。 僕はこの節を読んで、ハッとしました

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月27日読了時間: 3分


改訂完了 絵巻 旧約聖書「モーセ五書 申命記」を誰にもわかりやすく、簡単に。第3巻 エーケブ
「伝統と革新が融合する、かつてない聖書体験」 膨大なモーセ五書を「全章全節」漫画化するという前人未到の挑戦。 生成AIの力を駆使し、圧倒的なビジュアルで描く『申命記』新版・第3巻「エーケブ」が登場! 「旧約聖書は難解で、文字だけではイメージが湧かない……」 そんな悩みを解決するために、著者・石川尚寛氏は立ち上がりました。モーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の全内容を、一節も漏らさず漫画化するという壮大な使命。全54巻にも及ぶこの大事業は、現在、内容をさらに磨き上げた「新版」へと進化を続けています。 本巻(第3巻)では、ユダヤの伝統的な週間朗読箇所「パラシャ」の一つである**「エーケブ(Eikev)」**(申命記 第7章12節から第11章25節まで)を完全収録しています。 ■ 本巻「エーケブ」の見どころと詳説 イスラエルの民が約束の地を目前にし、モーセが魂を込めて語る「最後の教え」。そこには、現代社会を生きる私たちにも通じる「心のあり方」が凝縮されています。 豊かさの影に潜む「慢心」への警告: 荒野の苦難を経て、良い地に入り

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月21日読了時間: 4分


神を愛するって何?申命記が教える、でもまだわからないこと
神を愛するって何?申命記が教える、でもまだわからないこと 最近、僕は申命記の一節をずっと考え続けています。 6章5節。 「あなたは心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」 この言葉を前にすると、いつも自分の理解の浅さを感じます。 神を愛するとは、いったいどういうことなのだろう。 この質問に、僕はまだ明確な答えを持っていません。 ヘブライ語が示す深みと、僕の戸惑い 原文に触れると、言葉の重みがより感じられます。 「愛する」――「אָהַב」(アハヴ) 意志的な選択を含む愛だと言われますが、それが具体的にどういう選択なのか。 感情ではなく意志だと言われると、かえって難しさを覚えます。 「心を尽くし」――「לֵבָב」(レヴァヴ) 思考、意志、内面全体を尽くす。 僕の心はしばしば分散していて、すべてを集中させることの難しさを感じます。 「精神を尽くし」――「נֶפֶשׁ」(ネフェシュ) 存在そのものをかけるとは、あまりに深遠な言葉です。 自分の日常の中で、この言葉の意味を探るのは容易ではありません。 学びの中で気づいた小さな

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月20日読了時間: 2分
落ち穂に隠された神の導き
落ち穂に隠された神の導き 僕が申命記を読んでいて、胸に深く刻まれた掟があります。 申命記24章19節の言葉です。 「あなたが畑で収穫をするとき、もしその一束を畑に忘れたら、それを取りに戻ってはならない。それは在留異国人や、孤児、寡婦のものとしなければならない。あなたの神、主が、すべてあなたの手の働きを祝福されるためである。」 一見、小さな取り決めに思えるこの掟が、後に一つの運命的な出会いを生むことになるとは、当時の人々も想像できなかったでしょう。 ボアズが選んだ「掟を超える守り」 ルツ記の物語を読みながら、僕はボアズという人物の生き方に深く心を打たれます。 ボアズは単に落ち穂を残すだけでなく、僕が思うに、掟の「文字」ではなく「精神」を生きた人でした。 ルツ記2章15-16節に、彼が刈り取り人たちに言った言葉があります。 「彼女には束の中からも落ち穂を拾わせ、彼女をとがめてはならない。また、彼女のために、わざと穂の束から抜き落としておき、それを拾わせ、彼女をしかってはならない。」 ここに現れるヘブライ語の「とがめてはならない」(אַל־תַּכְל

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月18日読了時間: 4分
ヤコブが選んだ「最愛の子」の真実…その選択に隠された魂の叫びとは
ヤコブが選んだ「最愛の子」の真実…その選択に隠された魂の叫びとは はじめに:ひとつの家族、ふたつの運命 こんにちは、石川尚寛です。 聖書を読んでいると、どうしても気になってしまう「人間らしい」エピソードがあります。 今日、僕が皆さんと一緒に考えたいのは、創世記37章に描かれた、父ヤコブの「偏愛」についてです。 なぜヤコブは、ユダではなくヨセフを特別に可愛がったのか。 その理由を、ヘブライ語の原文に立ち返りながら、丁寧に見ていきたいと思います。 創世記37:3が語る「愛」の質 聖書には、こう記されています。 「イスラエルはヨセフを、どの息子よりも愛した。年をとってから生ませた子だったからである。それで、ヨセフには長そでの着物を作ってやった。」(創世記37:3) ここで僕がまず注目したのは「愛した」という言葉の原文です。 ヘブライ語では「アハヴ」אָהַבという語が使われていますが、この言葉は単なる感情的な「好き」ではありません。 意志的な選択を伴う「愛」、契約的な「愛」を意味することが多いのです。 でもヤコブのこの愛は、少し違う性質を持っているよう

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月16日読了時間: 4分


「イサクの『ほっと』する人柄に、僕は救われた。争わない生き方の原点。」
「イサクの『ほっと』する人柄に、僕は救われた。争わない生き方の原点。」 イサクって、どんな人だったんだろう? 聖書を読み始めた頃、僕はイサクのことを、どうしても「アブラハムの子」や「ヤコブの父」としてしか見られませんでした。 でも、モーセ五書をゆっくり学ぶうちに、ふと気づいたんです。 この人の生き方は、なんて「ほっと」するのだろう、と。 井戸を掘り直す、優しい選択 今日、僕が深く見つめたいのは、創世記26章18節から22節までの箇所です。 イサクは、父アブラハムがかつて掘った井戸を、再び掘り直します。 ところが、ゲラルの牧者たちが「この水は俺たちのものだ」と主張し、争いが始まる。 普通なら、ここで権利を主張し、戦うかもしれません。 でも、イサクは違いました。 彼はその井戸を「エセク」(争い)と名付け、そっと去ります。 そして、新しい井戸を掘る。また争われる。彼はそれを「シトナ」(敵意)と名付け、また去る。 三度目に掘った井戸には、もう争いは起こらなかった。彼はそれを「レホボト」(広い場所)と名付け、こう言います。 「今や、主は私たちの場所を広げて

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月15日読了時間: 3分
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