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「ヒネニ」と「アーメン」——小さな言葉に宿る、神との深い絆

  • 執筆者の写真: 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
    石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
  • 1月28日
  • 読了時間: 3分

「ヒネニ」と「アーメン」——小さな言葉に宿る、神との深い絆


僕は聖書を読むとき、時に、たった一言の言葉の前に立ち止まることがあります。

今日、心に引っかかっているのは、二つの小さな言葉。

「ヒネニ」と「アーメン」です。

この二つは、まるで対になるように、神さまとの関係の中で輝きを放つ言葉だと気づきました。


まずは「ヒネニ」から。

これはヘブライ語で「הִנֵּנִי」と書き、意味は「ここに私はいます」「お呼びでしょうか」。

神さまからの呼びかけに対して、「はい、私はここにいます。あなたのために何ができますか」と、全身全霊で応答する姿勢を表す言葉です。


モーセ五書の中では、アブラハムが息子イサクを捧げるようにという、あの難しい招きを受けたとき(創世記22章1節)、彼は「ヒネニ」と答えました。

また、神さまが夜、少年サムエルを呼ばれたとき(サムエル記上3章ですが、五書の精神に通じます)、彼も「ヒネニ。あなたのしもべは聞いています」と答えます。


この「ヒネニ」には、「私は完全にあなたの前にいます。私の全てを差し出します」という、信頼と委ねりの気持ちが込められているように感じます。

僕はこれを読むたび、「私は、目の前の神さまに対して、これほど全存在をかけて『います』と言えているだろうか」と、胸が締め付けられる思いがします。


そして、もう一つの言葉が「アーメン」。

ヘブライ語では「אָמֵן」。これは「確かに」「そのとおりです」「真実です」という意味の、確認と同意の言葉です。

モーセ五書では、特に申命記の27章から28章にかけて、神さまの祝福と呪いの言葉に対して、民が「アーメン」と応答する場面があります(申命記27:15-26)。

民は、神の言葉が真実であることを認め、「その言葉が、わたしの上にもその通りありますように」と、自分自身に引き受けて宣言するのです。


「ヒネニ」が神への「応答」だとすれば、「アーメン」は神の「言葉への同調」。

「あなたがおっしゃることは真実です。私はそれを自分のものとして受け入れます」という、深い信仰の姿勢がここにあります。


僕はこの二つの言葉を見つめながら、祈りとは何かを考えさせられます。

神さまへの祈りは、一方では「ヒネニ」——「私はここにいます。あなたの御心のために」という、能動的で献身的な姿勢。

他方では「アーメン」——「あなたの約束は真実です。その御言葉に全てを委ねます」という、受動的で信頼に満ちた姿勢。


この両方が、まるで呼吸のように交互に働くとき、神さまとの生きた関係が育まれていくのではないでしょうか。

今日、僕自身に問いかけてみたいと思います。

私は、日常の中で、神さまの細やかな呼びかけに「ヒネニ」と答えられているだろうか。

また、聖書を通して語られる神さまの真実な約束に、心から「アーメン」と言えているだろうか。


小さな言葉の一つひとつに、これほど深い意味と覚悟が込められている——モーセ五書を学ぶたびに、僕はその豊かさに驚かされます。

まだまだ知らないことがたくさんあります。これからも、一節一節を大切に読み、その響きを心に留めていきたいと思っています。


もし、この「ヒネニ」や「アーメン」のような、聖書の言葉の深みを、もっと身近に感じてみたいと思われた方がいましたら。

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僕自身の学びの旅が、形になったものを、あなたと分かち合えれば嬉しいです。



 
 
 

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