top of page

神を愛するって何?申命記が教える、でもまだわからないこと

  • 執筆者の写真: 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
    石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
  • 22 時間前
  • 読了時間: 2分

神を愛するって何?申命記が教える、でもまだわからないこと


最近、僕は申命記の一節をずっと考え続けています。


6章5節。

「あなたは心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」


この言葉を前にすると、いつも自分の理解の浅さを感じます。

神を愛するとは、いったいどういうことなのだろう。

この質問に、僕はまだ明確な答えを持っていません。


ヘブライ語が示す深みと、僕の戸惑い


原文に触れると、言葉の重みがより感じられます。


「愛する」――「אָהַב」(アハヴ)

意志的な選択を含む愛だと言われますが、それが具体的にどういう選択なのか。

感情ではなく意志だと言われると、かえって難しさを覚えます。


「心を尽くし」――「לֵבָב」(レヴァヴ)

思考、意志、内面全体を尽くす。

僕の心はしばしば分散していて、すべてを集中させることの難しさを感じます。


「精神を尽くし」――「נֶפֶשׁ」(ネフェシュ)

存在そのものをかけるとは、あまりに深遠な言葉です。

自分の日常の中で、この言葉の意味を探るのは容易ではありません。


学びの中で気づいた小さなこと


これまで学んできて、少しずつ見えてきたことがあります。

神を愛するというのは、完成された状態ではなく、向かっていく方向なのかもしれない。

完璧を求めるよりも、日々少しずつ心を向けていくプロセスなのではないか。


でも、それはあくまで僕の現時点での気づきに過ぎません。

もっと深い理解があるはずだと感じています。


これからも続く学びの旅


僕はこれからも申命記のこの言葉と向き合い続けたいと思っています。

神を愛するということが、人生を通しての学びなのだと感じているからです。


モーセ五書を学ぶ中で、少しずつ理解が深まっていくのを感じています。

まだわからないことだらけですが、そのプロセス自体に意味があるのかもしれません。


僕の学びの助けとなっているマンガ版のモーセ五書は、Amazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索していただければ見つかります。

無料で読める部分もありますので、もし興味があればご覧になってみてください。



 
 
 

最新記事

すべて表示
落ち穂に隠された神の導き

落ち穂に隠された神の導き 僕が申命記を読んでいて、胸に深く刻まれた掟があります。 申命記24章19節の言葉です。 「あなたが畑で収穫をするとき、もしその一束を畑に忘れたら、それを取りに戻ってはならない。それは在留異国人や、孤児、寡婦のものとしなければならない。あなたの神、主が、すべてあなたの手の働きを祝福されるためである。」 一見、小さな取り決めに思えるこの掟が、後に一つの運命的な出会いを生むこと

 
 
 
ヤコブが選んだ「最愛の子」の真実…その選択に隠された魂の叫びとは

ヤコブが選んだ「最愛の子」の真実…その選択に隠された魂の叫びとは はじめに:ひとつの家族、ふたつの運命 こんにちは、石川尚寛です。 聖書を読んでいると、どうしても気になってしまう「人間らしい」エピソードがあります。 今日、僕が皆さんと一緒に考えたいのは、創世記37章に描かれた、父ヤコブの「偏愛」についてです。 なぜヤコブは、ユダではなくヨセフを特別に可愛がったのか。 その理由を、ヘブライ語の原文に

 
 
 

コメント


bottom of page