「顔を見るのも辛い」と感じた夜に、紀元前の家族が教えてくれたこと
- 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)

- 2 時間前
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「顔を見るのも辛い」と感じた夜に、紀元前の家族が教えてくれたこと
憎み合う前に距離を置くという、静かで痛みを伴う選択について
かつてはあれほど親しかったはずなのに、今は顔を合わせるたびに心が波立つ。そんなやり切れなさを抱える夜は、どなたにも訪れるもののようです。
焼け付くような日差しの下、カナンの乾燥した大地。砂埃が舞う中、長年共に旅をしてきたアブラムと甥のロトの間に、重苦しい空気が漂っています。双方の家畜が増えすぎた結果、限られた井戸の水を巡って牧者たちの怒号が飛び交うようになったのです。かつては実の親子のように身を寄せ合って生きてきた二人が、やがて取り返しのつかない憎しみを抱き合う一歩手前に立たされていた、ひりつくような緊張感に満ちた場面とされております。
【章節明示とヘブライ語解説】
創世記13章9節。アブラムは甥のロトに向かって「あなたの前に全地があるではないか。わたしから別れてほしい」と告げます。この「わたしから別れてほしい(ヒッパレド・ナー・メアーラーイ)」の核となる「ヒッパレド(הִפָּרֶד)」は、「分かれる」を意味する動詞「パラド(פרד)」のニファル(受動・再帰)形命令法とされております。直訳すれば「どうか私から、自らを引き離してくれ」という響きを持ち、単なる決別ではなく、平和を保つための痛切な願いが込められていることが原文の構造から窺えます。
【ラビの教え:サムソン・ラファエル・ヒルシュ】
19世紀ドイツで正統派ユダヤ教の復興に尽力したラビ、サムソン・ラファエル・ヒルシュ(Samson Raphael Hirsch)の解釈を紐解いてみたいと存じます。
ラビ・ヒルシュはこの「自らを引き離してくれ(ヒッパレド)」という言葉の背後にある、アブラムの深い洞察に注目しております。ラビの解説によれば、アブラムは決してロトを憎んで追い出したわけではないとされております。むしろ、これ以上物理的な距離の近さが原因で、魂までもが決定的に引き裂かれ、修復不可能な関係に陥ってしまうことを恐れたのだとラビは指摘します。
当時の遊牧社会において、一族が分断することは外敵からの危険に直結し、通常は絶対に避けるべき事態でした。しかしラビ・ヒルシュは、アブラムが「外面的な結びつき(同じ土地に住み続けること)」を犠牲にしてでも、「内面的な平和(互いの心に憎しみを芽生えさせないこと)」を優先したのだと読み解きます。「もしあなたが左に行くなら、私は右に行く」という言葉は、相手の選択を完全に尊重しつつ、互いの領域を明確に分けるための境界線の提示であったとラビは語ります。
さらにラビ・ヒルシュは、アブラムの言葉「私たちは親族なのだから(キイ・アナシーム・アヒーム・アナフヌ)」に着目し、「親族(兄弟)であり続けたいからこそ、今は離れなければならない」という逆説的な愛の形をそこに見出しております。近い関係ゆえの絶え間ない摩擦が、本来あるべき愛情を削り取ってしまう前に、痛みを伴う物理的な切断を選択したのだとラビは説明します。
近すぎる距離は、時に相手への過度な期待や無意識の甘えを生み出し、それが裏切られた時に激しい怒りや憎しみへと変わってしまうことがあります。ラビの視点を通すと、この時の決別は関係の「破壊」ではなく、かつて親しかった互いへの敬意を保ち続けるための、苦渋に満ちた「保護」であったことが浮かび上がってきます。愛情や親しみがあったからこそ、それが醜い憎悪に反転する前に、自らの身を切るような思いで「引き離してくれ」と願い出たアブラムの姿を、ラビ・ヒルシュは人間として非常に成熟した決断として描き出しています。
ラビ・ヒルシュの視点に立てば、日々の人間関係で行き詰まった際にも、いくつかの道筋が見えてくるかもしれません。
たとえば、かつて親しかった友人、信頼していた仕事の同僚、あるいはコミュニティの身近な仲間に対し、以前のような穏やかな感情を持てなくなっていることに気づいた時、無理に関係を修復しようと焦るのではなく、まずは物理的・時間的な距離を静かに置いてみるのも一案かもしれません。
SNSでの繋がりを一旦見直してみたり、顔を合わせる機会や連絡の頻度を意図的に減らしたりすることは、決して相手に対する冷たい拒絶や敵意の表れではなく、相手への致命的な憎しみを防ぐための「心の防波堤」になり得ると考えられます。
また、長く所属していた場所で、特定の方との間に埋め難い溝を感じた場合、その場からそっと離れるという選択も、ラビの教えに照らせば「逃げ」ではなく「互いの魂を守るための知恵」と捉えることができるかもしれません。
関係を完全に断ち切って無関心になるのではなく、「互いを尊重し続けられる適正な距離」を再設定する。そのように捉え直すことで、親しかった人と距離を置くことへの罪悪感や葛藤から、少しだけ解放されることがあるかもしれません。
離れることは、互いを憎まないための静かな選択とされます。
距離という境界線が互いの心を守ることもあるのかもしれません。モーセ五書マンガ版(Amazonにて全54巻)でも、その情景を描いております。




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