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不倫が「罪」と呼ばれる、その深い理由 十戒の言葉に隠された、ラビたちの静かなまなざし
不倫が「罪」と呼ばれる、その深い理由 十戒の言葉に隠された、ラビたちの静かなまなざし 出エジプト記20章14節にある「姦淫してはならない」という言葉をご一緒に拝見させていただきます。この原文のヘブライ語は「לֹא תִנְאָף(ロー・ティンアフ)」です。この「ティンアフ」という動詞は、未来形・二人称・男性単数の形をとっております。興味深いことに、この言葉は既婚の女性が関わる行為に特に焦点を当てた表現で、「姦淫」と訳されます。単なる男女の関係ではなく、婚姻という神聖な契約の間に入り込む行為を、聖書はここで明確に区別しているのです。 11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)の、この戒めについての解説に、しばし耳を傾けさせていただきます。 ラシはこの「姦淫」という行為について、非常に明確な線引きを述べています。ラシの解説によれば、ヘブライ語の「נִאוּף(ニウフ)=姦淫」という言葉は、聖書の言語において、常に「既婚の女性と、彼女の夫ではない男性との関係」を指す言葉だというのです。つまり、この戒めは、婚姻関係にある女性を対象として語

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
5月7日読了時間: 3分


【罪を犯した兄は赦され、3,000人の民は剣に倒れた。その差はいったい、どこにあるのか】 【「金の子牛」という最大の背信行為のただ中で、アロンだけが生き残った理由をラビの言葉からひも解く】
【罪を犯した兄は赦され、3,000人の民は剣に倒れた。その差はいったい、どこにあるのか】 【「金の子牛」という最大の背信行為のただ中で、アロンだけが生き残った理由をラビの言葉からひも解く】 本件は、『出エジプト記』32章に記された「金の子牛(עגל הזהב / Egel haZahav)」の出来事に基づいております。まず、ヘブライ語の原文に触れておきたいと存じます。アロンが作ったのは「鋳物の子牛(עגל מסכה / Egel Masekhah)」と表現されております。また、民が叫んだ「これこそ、われわれをエジプトから連れ出した神だ」という言葉の中で使われている「神」は、複数形の「エロヒーム(אלהים / Elohim)」です。この文法上の事実は、彼らが主なる神を完全に否定したのではなく、目に見える形あるものを神の象徴として崇めようとした、いわば「ご利益信仰」的な誤りを犯したことを示唆している、と見ることもできるかもしれません。 【ラビの教え:ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)】──アロンはなぜ「死刑」を免れたのか ここでは、11世紀フランス

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
4月20日読了時間: 3分


あなたは「岩」に話しかけましたか、それとも打ちましたか──モーセがカナンを目前に阻まれた理由 荒野の旅の終わりに起きた「メリバの水」事件──ラビたちはモーセの胸中に何を読み取ったのか
あなたは「岩」に話しかけましたか、それとも打ちましたか──モーセがカナンを目前に阻まれた理由 荒野の旅の終わりに起きた「メリバの水」事件──ラビたちはモーセの胸中に何を読み取ったのか 該当する箇所は民数記20章1節から13節です。この箇所の重要な鍵は、8節で神がモーセに与えられた「וְדִבַּרְתֶּם(ヴェディバルテム/あなたがたは語りかけよ)」という動詞と、11節でモーセが実際に行った「וַיַּךְ(ヴァヤフ/彼は打った)」という動詞の対比にあります。ヘブライ語で「語りかけよ」を意味する「דבר(ダバル)」は、「言葉によって事を運ぶ」という意味合いを持ちます。この場所は後に「מְרִיבָה(メリバ/争い)」と呼ばれるようになりました。 11世紀フランスで活躍したユダヤ教の偉大な聖書注解者、ラシ(Rabbi Shlomo Yitzchaki)は、モーセが約束の地に入れなかった理由について、極めて明確な見解を示しております。ラシによれば、神はモーセに対して「岩に語りかけよ」と命じられたにもかかわらず、モーセはそれに従わず「岩を打った」ので

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
4月15日読了時間: 2分


「口と心」は、あなたのすぐ近くにある ― 申命記30章14節
「口と心」は、あなたのすぐ近くにある ― 申命記30章14節 四千年前の荒野でモーセが語った、神と繋がるためのあまりにも身近な道筋 申命記30章14節(口語訳)には「まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる」と記されております。この箇所のヘブライ語原文「כִּי־קָרוֹב אֵלֶיךָ הַדָּבָר מְאֹד בְּפִיךָ וּבִלְבָבְךָ לַעֲשֹׂתוֹ」を直訳いたしますと、「なぜなら、あなたに非常に近いのだ、その言葉は。あなたの口の中に、そしてあなたの心の中に。それを行うために」となります。ここで「言葉」と訳されている「דָּבָר(ダヴァール)」は、単なる「言葉」を超え、「事柄」「命令」「神の御心」をも包含する、深みのある語でございます。 11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)は、この申命記30章14節について、非常に深い洞察を残しておられます。ラシは、この「ダヴァール(言葉)」を、具体的に「トーラー(律法)を学ぶこと

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
4月10日読了時間: 3分


今日は何の日?——過越祭の第7日目 海が分かれたとされる日を、ご一緒に眺めてみませんか
今日は何の日?——過越祭の第7日目 海が分かれたとされる日を、ご一緒に眺めてみませんか 出エジプト記14章22節 「イスラエルの人々は海の中を乾いた地で歩いて行った」 ヘブライ語の原文では「ベトク・ハヤム」(海の真ん中で)という言葉が使われています。直訳すれば「海の中心において」——つまり、単に海の端を歩いたのではなく、完全に海の中を進んだという意味になります。ラビたちはこの表現から、当時の人々が感じたであろう驚きと恐れを読み取ってきました。 今日は、ユダヤ教の春の祭り「過越祭(ペサハ)」の第7日目にあたります。聖書にあまり馴染みのない方のために、まずこの祭りが何を記念するものなのかを、ラビの教えに沿ってご説明します。 約3300年前、今のイスラエルの人々の祖先はエジプトで奴隷でした。そこから奇跡的に解放された出来事を毎年思い起こすのが過越祭です。祭りは7日間続き、初日は「脱出した日」、そして第7日目は「紅海を渡り切った日」 とされています。 ラシはこの第7日目について、ある印象的な伝承を残しています。それは「ナフションの一歩」というお話です。.

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
4月8日読了時間: 3分


過越の「子羊」が語りかける、もう一つの物語
過越の「子羊」が語りかける、もう一つの物語 出エジプト記12章3節から5節にかけて、イスラエルの共同体に過越の子羊を準備するよう命じられる箇所が登場します。 この箇所で繰り返し用いられる「子羊」という言葉、ヘブライ語では「セー」(שה)です。原文をひもとくと、この「セー」という単語は、単独では「一匹の羊」を指しますが、文脈によっては「羊の群れ」全体を象徴することもある、実に奥深い表現であります。 また、3節で「一軒の家に一匹の子羊」と命じられながら、4節では「家の人数が少ないときは、隣の人と一緒にとる」と、その柔軟な運用が示されております。この「家」という単位と「人数」という個の視点が、律法の中でどのように調節されているか。ラビたちはこの点に、単なる儀礼の枠を超えた深い示唆を見出してまいりました。 11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)は、この過越の子羊に関する一連の箇所を解説する際、ある一つの動詞に鋭く焦点を当てます。 それは4節にある「見積もる」という言葉です。家の人数に応じて子羊を「見積もる」という、一見すると事務的なこ

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
4月1日読了時間: 4分


「つい言いすぎてしまう」その言葉が、なぜ人の心を傷つけるのか
「つい言いすぎてしまう」その言葉が、なぜ人の心を傷つけるのか ラビ・ラシがレビ記の一文から読み解く、言葉の重みと隣人への責任 レビ記第十九章第十六節。 「あなたは民の中を渡り歩いて、噂話をして歩いてはならない。あなたは隣人の血に対して立ち向かってはならない。私は主である。」 この箇所で「噂話をして歩く」と訳されるヘブライ語の動詞は「ラガル(רָגַל)」です。この言葉は「歩き回る」「探り歩く」という原義を持ち、そこから「商人が商品を運びながら売り歩く」ような行為を連想させます。また、名詞形「レシル(רָכִיל)」は「噂話をする者」を指しますが、これは「ラガル」と同じ語根から派生していると、後述するラシも注目しています。 ラシはこの節の「ラガル」という動詞に深い注意を向ける。彼はまず、この言葉が単に「歩く」ではなく、「あちこちと渡り歩く」というニュアンスを持つと指摘する。そして、そのような歩き方をする者の典型として、商人を挙げる。商人は商品を運び、あちこちの店や家を回って売り歩く。ラシは、噂話をする者もそれと同じだと述べる。つまり、ある人の言葉を

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月31日読了時間: 3分


静かに導く力──ラビが示す「リーダーシップの源」
静かに導く力──ラビが示す「リーダーシップの源」 声を荒らげずとも人は動く、とラビが示す静かな導きのあり方 申命記34章10節には「וְלֹא־קָם נָבִיא עוֹד」(ヴェロ・カム・ナヴィー・オド)という表現がございます。直訳すれば「再び起こらなかった、預言者は」となり、「カム(立つ)」が完了形で用いられ、モーセの特別性を静かに示す語法とされております。また「עוֹד(オド)」は「再び」「もう一度」を示す語で、唯一性を柔らかく強調する響きを持つとされております。 【ラビの教え:11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)】 ラシは、この節における「立つ(カム)」という語に注目し、モーセのリーダーシップが「力強い支配」ではなく「静かな存在感」によって成り立っていたと述べる。ラシによれば、モーセは人々を押し出すのではなく、必要なときにそっと前に立ち、必要なときには後ろに下がる人物であったとされる。ラシは、この「立つ」という語が、単なる身体的な動作ではなく、「人々の前に立つ資格を与えられた状態」を示すと解説する。...

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月30日読了時間: 3分


なぜ、不満は語ってはならないのか ラシが聖書の一文から読み解く、言葉と心の関係
なぜ、不満は語ってはならないのか ラシが聖書の一文から読み解く、言葉と心の関係 民数記11章1節。 「民は主の耳に届くような悪い不平を言った。主はそれを聞かれ、怒りが燃え上がり……」(新改訳2017) ヘブライ語原文の「不平」は「מִתְאֹנְנִים(ミトアネニム)」。この語は内面に溜めた嘆きが抑えきれずに漏れ出る状態を指し、不平そのものより「質」と「対象」が問われているとされております。 11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)は、この不平の背景に注目します。ラシによれば、民の不満はマナに対する軽蔑にあり、彼らは「我々は何も見えない。ただこのマナだけだ」と述べたと伝えられています。 ラシが特に掘り下げるのは「主の耳に届くような」という表現です。彼は、問題の本質は不満の内容よりも、その背後にある「神への信頼の欠如」であると解説します。マナという奇跡的な恵みさえも、感謝ではなく欠点探しの対象にしてしまった。そこに人間の本質的な弱さがある、とラシは示唆します。 また、ラシはこの出来事を、一人の不満が共同体全体に広がる危険性として

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月27日読了時間: 2分


古の賢者が指し示す、魂の調律としての瞑想
古の賢者が指し示す、魂の調律としての瞑想 11世紀フランスの巨星ラシが読み解く、イサクの「野の歩み」に隠された祈りの本質 創世記24章63節。原文には「לָשׂוּחַ בַּשָּׂדֶה(ラ・スアハ・バ・サデ)」という表現が登場いたします。この「לָשׂוּחַ(ラ・スアハ)」という不定詞は、ヘブライ語の語根「שׂ-וּ-חַ(S-W-H)」に由来し、直訳すれば「歩き回る」「語らう」「黙想する」といった複数の意味を内包する言葉でございます。多くの古典的な解釈において、この動作は単なる散策ではなく、魂が神へと向かう深い瞑想的な「祈り」の形であると解釈されてまいりました。 11世紀フランスの偉大な聖書注解者、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)は、この「ラ・スアハ」という言葉に、ユダヤ教における瞑想と祈りの根源的な姿を見出しております。 ラシの注解によれば、この箇所でイサクが行っていた「野での語らい」こそが、後のユダヤ教における「午後の祈り(ミンハ)」の起源であるとされます。ラシがここで注目したのは、特定の礼拝所ではなく「野(サデ)」という開かれた

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月23日読了時間: 3分


痛みで眠れない夜の祈り方
痛みで眠れない夜の祈り方 真夜中、足首が燃えるように痛んで眠れない。どんな姿勢を取っても疼きが治まらず、ただ時が過ぎるのを待つしかない夜は、誰にでもあるもののようです。 荒野の旅のさなか、ミリヤムは兄モーセに対して批判的な言葉を口にしました。その結果、彼女はツァラアトに罹り、雪のように白くなります。アロンがモーセに執り成しを求めると、モーセは姉のために祈りました。彼女は七日の間、宿営の外に閉じ込められ、その後ようやく癒されて戻ってきます。身体の痛みと隔離の苦しみの中で、彼女がどのような思いで日々を過ごしたかは、想像に難くありません。 民数記12章13節 「モーセは主に叫んで言った『どうか、彼女を癒してください(エル・ナ・レファ・ナ・ラ)』」 ヘブライ語の「ナ(נָא)」は、強い懇願を表す間投詞です。「どうか」「お願いです」という切迫したニュアンスを含みます。「レファ(רְפָא)」は「癒す」という命令形。直訳すれば「癒してください、どうか、彼女を」となります。この一言に、兄としての悲痛な叫びが凝縮されているのです。 【ラビの教え:ラシ(シュロモー

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月20日読了時間: 4分


「未来が見えたら、それで幸せですか?」ある王と口寄せの女が教えてくれた、頼ることの本当の意味
「未来が見えたら、それで幸せですか?」 ある王と口寄せの女が教えてくれた、頼ることの本当の意味 将来のことが気になって眠れない夜、たった一言でいいから確かな答えが欲しくなる瞬間は、誰にでもあるもののようです。 紀元前15世紀、シナイの荒野。イスラエルの民はエジプトを出て、神と契約を結び、新たな民として歩み始めたばかりでした。周囲には異教の文化が渦巻き、将来への不安から、目に見えるもの、耳にできる声にすがりたくなる誘惑は、日々彼らの足元に潜んでいたことでしょう。神はモーセを通して、この民が「聖なる国民」として歩むための道筋を、細やかに示しておられました。 レビ記20章6節、27節。 「霊媒や口寄せを訪れて、これを求めて淫行を行う者があれば、わたしはその者にわたしの顔を向け、彼を民の中から断つ。」(6節) 「男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。」(27節) ここで「口寄せ」と訳された原語は「オヴ(אוֹב)」といい、本来は「死者の霊を呼び出す者」を指します。この言葉が発する響きには、生ける神から心を逸らさせるも

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月11日読了時間: 5分


目の前の一人を大切にすると、人脈は自然と育つ アブラハムのもてなしに学ぶ、神が喜ばれる付き合い方
目の前の一人を大切にすると、人脈は自然と育つ アブラハムのもてなしに学ぶ、神が喜ばれる付き合い方 初めて会う人との会話が苦手だ。大人数の集まりに行くと、かえって孤独を感じる。そんな経験は、どなたにもあるもののようです。 創世記18章。へブロンのテレビンの木の下で、アブラハムはテントの入り口に座っていました。日差しが最も強くなる真昼時。そんな暑さの中、三人の旅人が現れます。当時の荒野の旅は命がけ。水も食料もなく、道に迷えばそのまま命を落とすこともありました。99歳のアブラハムは、その姿を一目見るや、自ら走り出迎え、地面にひれ伏します。年老いた体で水を汲み、パンを焼き、柔らかい子牛を用意してもてなす姿は、まるで最も大切な客人をもてなすかのようです。 創世記18章2節〜3節 「彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は見るや、すぐに彼らを迎えに天幕の入り口から走って行き、地にひれ伏して言った。『お願いです。もし私があなたの心に適うなら、どうか私のもとを通り過ぎないでください。』」 ヘブライ語原文で注目されるのは、アブラハムが客人に対し

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月8日読了時間: 4分


「顔を見るのも辛い」と感じた夜に、紀元前の家族が教えてくれたこと
「顔を見るのも辛い」と感じた夜に、紀元前の家族が教えてくれたこと 憎み合う前に距離を置くという、静かで痛みを伴う選択について かつてはあれほど親しかったはずなのに、今は顔を合わせるたびに心が波立つ。そんなやり切れなさを抱える夜は、どなたにも訪れるもののようです。 焼け付くような日差しの下、カナンの乾燥した大地。砂埃が舞う中、長年共に旅をしてきたアブラムと甥のロトの間に、重苦しい空気が漂っています。双方の家畜が増えすぎた結果、限られた井戸の水を巡って牧者たちの怒号が飛び交うようになったのです。かつては実の親子のように身を寄せ合って生きてきた二人が、やがて取り返しのつかない憎しみを抱き合う一歩手前に立たされていた、ひりつくような緊張感に満ちた場面とされております。 【章節明示とヘブライ語解説】 創世記13章9節。アブラムは甥のロトに向かって「あなたの前に全地があるではないか。わたしから別れてほしい」と告げます。この「わたしから別れてほしい(ヒッパレド・ナー・メアーラーイ)」の核となる「ヒッパレド(הִפָּרֶד)」は、「分かれる」を意味する動詞「パ

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月6日読了時間: 4分


呼吸が浅いと気づいた時に、四千年前の民が教えてくれること
呼吸が浅いと気づいた時に、四千年前の民が教えてくれること 瞑想中の「息苦しさ」から解放される、あるラビの視点 呼吸をしようとして、逆に息が詰まる。そんな瞬間は、どなたにもあるもののようです。静かに座り、意識を呼吸に向けようとすればするほど、かえって浅く、速くなっていく感覚。そのもどかしさは、瞑想をする者にとって幾度となく訪れるものなのでしょう。 今から約四千年前、エジプトを脱出したイスラエルの民は、過酷な砂漠の旅を続けていました。灼熱の太陽の下、先行きの見えない不安と、喉を渇かせる乾燥した空気。彼らの呼吸は自然と浅く、速くなっていたことでしょう。そんな中、彼らに与えられた天からの食物、マナ。毎朝、野面に降りるこの白い粒子は、彼らにとってまさに「命の息」そのものでした。 出エジプト記16章4節。 「主はモーセに言われた、『見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる。民は出て行って、毎日その日の分を集めなさい』」 ここで「パン」と訳されているヘブライ語は「לֶחֶם(レヘム)」ですが、この言葉は単なる食物だけでなく、「食物」「糧」という意

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3月1日読了時間: 4分


眠れない夜にラビが教える3つの知恵 〜今夜から実践できる過ごし方
眠れない夜にラビが教える3つの知恵 〜今夜から実践できる過ごし方 午前3時。布団の中で何度も寝返りを打ちながら、時計の数字が変わっていくのを眺めている。そんな夜を過ごしたことはありませんか。 僕も時々、そういう夜があります。何かを心配しているわけでもないのに、なぜか目が冴えてしまう。そんな時、ユダヤのラビたちが伝えてきた知恵が、静かな光になってくれることがあるのです。 今日は、眠れない夜に役立つ3つのラビの教えをご紹介します。どれも今夜からすぐに実践できるものばかりです。 ラビの教え1:心を整える「シェマ」の知恵 最初の教えは、「聞く」ことから始まります。 ラビ・エリエゼルはこう言いました。「夜中に目が覚めたなら、まず耳を澄ませよ。世界は眠っていても、神の声は決して途絶えることはない」 これは詩篇119篇62節「真夜中に、私は起きてあなたに感謝します」という言葉に基づいています。 具体的な実践方法はこうです。 目が覚めたら、まず静かに呼吸を整えます。そして、外の音に耳を澄ませてみてください。遠くの車の音。風の音。あるいは、自分の心臓の鼓動。その一

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
2月14日読了時間: 4分


「イサクの『ほっと』する人柄に、僕は救われた。争わない生き方の原点。」
「イサクの『ほっと』する人柄に、僕は救われた。争わない生き方の原点。」 イサクって、どんな人だったんだろう? 聖書を読み始めた頃、僕はイサクのことを、どうしても「アブラハムの子」や「ヤコブの父」としてしか見られませんでした。 でも、モーセ五書をゆっくり学ぶうちに、ふと気づいたんです。 この人の生き方は、なんて「ほっと」するのだろう、と。 井戸を掘り直す、優しい選択 今日、僕が深く見つめたいのは、創世記26章18節から22節までの箇所です。 イサクは、父アブラハムがかつて掘った井戸を、再び掘り直します。 ところが、ゲラルの牧者たちが「この水は俺たちのものだ」と主張し、争いが始まる。 普通なら、ここで権利を主張し、戦うかもしれません。 でも、イサクは違いました。 彼はその井戸を「エセク」(争い)と名付け、そっと去ります。 そして、新しい井戸を掘る。また争われる。彼はそれを「シトナ」(敵意)と名付け、また去る。 三度目に掘った井戸には、もう争いは起こらなかった。彼はそれを「レホボト」(広い場所)と名付け、こう言います。 「今や、主は私たちの場所を広げて

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
1月15日読了時間: 3分
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