「未来が見えたら、それで幸せですか?」ある王と口寄せの女が教えてくれた、頼ることの本当の意味
- 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)

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「未来が見えたら、それで幸せですか?」
ある王と口寄せの女が教えてくれた、頼ることの本当の意味
将来のことが気になって眠れない夜、たった一言でいいから確かな答えが欲しくなる瞬間は、誰にでもあるもののようです。
紀元前15世紀、シナイの荒野。イスラエルの民はエジプトを出て、神と契約を結び、新たな民として歩み始めたばかりでした。周囲には異教の文化が渦巻き、将来への不安から、目に見えるもの、耳にできる声にすがりたくなる誘惑は、日々彼らの足元に潜んでいたことでしょう。神はモーセを通して、この民が「聖なる国民」として歩むための道筋を、細やかに示しておられました。
レビ記20章6節、27節。
「霊媒や口寄せを訪れて、これを求めて淫行を行う者があれば、わたしはその者にわたしの顔を向け、彼を民の中から断つ。」(6節)
「男であれ、女であれ、口寄せや霊媒は必ず死刑に処せられる。彼らを石で打ち殺せ。」(27節)
ここで「口寄せ」と訳された原語は「オヴ(אוֹב)」といい、本来は「死者の霊を呼び出す者」を指します。この言葉が発する響きには、生ける神から心を逸らさせるものへの、厳しいまでの警告が込められているかのようです。
【ラビの教え:ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)】
11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)は、この「口寄せや霊媒」の禁令について、深い洞察を残しています。ラシはレビ記19章31節の解説において、これらの行為が単なる「情報収集」ではなく、「神への不忠実さ」の象徴であると指摘します。
ラシの解説によれば、人は未来への不安や、どうしてよいか分からない困難に直面した時、見えるもの、聞こえるものに頼りたくなるものです。しかし、その拠り所を神ならざるものに求めること、それが「淫行」と表現される所以だとラシは述べます。旧約聖書において「淫行」はしばしば、神との契約関係を破り、他の神々に心を傾けることを指す比喩として用いられます。つまり、占いや口寄せに頼る行為は、形は違えど、目に見えない神よりも、自分に直接語りかけてくれる何かにすがりたいという心の表れであり、それこそが神との深い結びつきを損なう「霊的な姦淫」であるというのです。
さらにラシは、この禁令の根底にあるものとして、「神の民とは、神のみ声に聞き従う者である」という原則を浮き彫りにします。申命記18章10-12節では、占い、卜者、易者、呪術師などが列挙された後、「これらを行う者はみな主に忌みきらわれる」と記されています。ラシはこの一連の禁令を、イスラエルが周辺諸国とは異なる生き方を全うするための境界線と捉えました。目に見えるものに頼る習慣が蔓延る地にあって、見えない神の声を聴き続けること。それは時に不確かに思え、不安を伴う道かもしれません。しかしラシは、まさにその「見えない方に信頼する」という姿勢こそが、神の民のアイデンティティの中核を成すと教えているかのようです。
また、後のユダヤ教の伝承では、サウル王が口寄せの女を訪ねた出来事(サムエル記上28章)を引用しながら、たとえ王であっても、この禁令を破った者が最終的にどのような結末を迎えたかを、戒めとして語り継いでいます。神は時に沈黙されることがあります。その沈黺の重圧に耐えきれず、人間は禁じられた手段に手を伸ばしてしまう。ラシの解説は、私たちの内にある「確かめたい」「知りたい」という欲望の危うさを、静かに照らし出しているように思われます。
ラシの視点に立てば、将来への不安が押し寄せた時、私たちはまずその不安を否定せずに受け止めつつも、それを解消する手段として「手軽な答え」を求めていないか、自分自身に問いかけてみるのも一案かもしれません。
例えば、転職や結婚といった人生の岐路に立った時。「誰かに明確な答えを教えてほしい」という気持ちが強くなることがあるかもしれません。その時、ラシの教えに学ぶなら、占いや鑑定など、自分以外の何かに決定権を委ねたくなる衝動を一度静め、「私はなぜ答えが欲しいのか」「その先で本当に手にしたいものは何か」を、祈るように自分に問い直してみるのです。
また、SNSで拡散される「今日の運勢」や「幸運を呼ぶ風水」などに、何となく心の拠り所を求めてしまう時。ラシの視点に立てば、それらを完全に排除する必要はないかもしれませんが、「これが私の歩むべき道を示してくれる」と無意識に信頼してしまっていないか、軽やかに点検してみるのも良いでしょう。
そして何より、答えがすぐに見えない不安な時こそ、目には見えないけれども自分を導いている方との、静かな対話の時間を大切にしてみてはいかがでしょうか。答えそのものよりも、その方との関係そのものに、平安の鍵があるのかもしれません。
頼る先を間違えなければ、不安は必ずしも悪いものではないのかもしれません。
目に見えるものを求めてしまう心の弱さは、どなたにもあるものなのでしょう。しかしラシの教えは、あえて目に見えない方を信じる道を選ぶことの尊さを、私たちに静かに語りかけているかのようです。
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