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【罪を犯した兄は赦され、3,000人の民は剣に倒れた。その差はいったい、どこにあるのか】 【「金の子牛」という最大の背信行為のただ中で、アロンだけが生き残った理由をラビの言葉からひも解く】

  • 執筆者の写真: 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
    石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
  • 4月20日
  • 読了時間: 3分

【罪を犯した兄は赦され、3,000人の民は剣に倒れた。その差はいったい、どこにあるのか】


【「金の子牛」という最大の背信行為のただ中で、アロンだけが生き残った理由をラビの言葉からひも解く】


本件は、『出エジプト記』32章に記された「金の子牛(עגל הזהב / Egel haZahav)」の出来事に基づいております。まず、ヘブライ語の原文に触れておきたいと存じます。アロンが作ったのは「鋳物の子牛(עגל מסכה / Egel Masekhah)」と表現されております。また、民が叫んだ「これこそ、われわれをエジプトから連れ出した神だ」という言葉の中で使われている「神」は、複数形の「エロヒーム(אלהים / Elohim)」です。この文法上の事実は、彼らが主なる神を完全に否定したのではなく、目に見える形あるものを神の象徴として崇めようとした、いわば「ご利益信仰」的な誤りを犯したことを示唆している、と見ることもできるかもしれません。


【ラビの教え:ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)】──アロンはなぜ「死刑」を免れたのか


ここでは、11世紀フランスの偉大なラビ、ラシ(Rabbi Shlomo Yitzchaki)の解説をご一緒に拝聴させていただきます。


ラビたちは、出エジプト記32章において、三千人の民が剣で裁かれた一方で、なぜ主導者に見えるアロンが裁かれなかったのか、という点に深い関心を寄せております。ラシは、アロンが「偶像礼拝」という死刑に値する罪を実際に犯したわけではない、と解釈しております。ラシの解説によれば、アロンがモーセの帰りを待ちわびる民に迫られた時、彼は真正面から拒否するのではなく、「時間を稼ぐ(Delay Tactics)」という苦肉の策を選択したというのです。


ラビの解釈によれば、アロンは民に対して「あなたたちの妻や子供たちの金の耳輪を外して、私のところに持って来なさい」と命じました。これは一見、要求に応じたように見えますが、ラシの目には「女性たちが大切な装身具を手放すのを渋り、その間にモーセが戻ってくるだろう」という計算があったと映ります。ところが、民はためらうことなく金を差し出しました。次にアロンは、「明日、主への祭りを行う」と宣言します。これもラシによれば、祭りを翌日に設定することで、さらに一日の猶予を得ようとした策略に他なりませんでした。


さらに驚くべきことに、ラシは「子牛そのものがひとりでに飛び出してきた」というミドラシュを引用しております。これは、アロンが金を火の中に投げ入れたところ、彼の意図や技術とは無関係に、魔術によって子牛の形が出来上がってしまったというのです。つまり、ラシはアロンを「創造者」ではなく、予期せぬ結果に直面した「被害者」に近い立場として描いているのです。


加えてラシは、最終的に剣で殺された者たちは実際に子牛を礼拝した者たちであり、レビ族(アロンが属する部族)は誰一人として偶像を礼拝しなかったと述べております。アロンは確かに過程に関与しましたが、彼の心は最後まで神から離れなかった。ゆえに神は、彼に死刑ではなく、後に幕屋奉献の際に「贖罪のための子牛」を捧げる機会を与え、罪の清算を許されたのです。


このように、同じ「金の子牛」という場に居合わせながらも、その人の心の内側、すなわち「神を求める意図があったか、それとも完全に見捨てたか」という一点が、生死を分ける重大な分岐点であったのかもしれません。


罪の重さは、手が行った「行為」だけでなく、心がどこを向いていたかという「向き」によっても測られるものなのかもしれません。ラビの言葉には、そのような深い慰めと戒めが込められているように感じられます。漫画版の詳細な描写にもぜひご注目いただければ幸いです。


 
 
 

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