静かに導く力──ラビが示す「リーダーシップの源」
- 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)

- 1 日前
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静かに導く力──ラビが示す「リーダーシップの源」
声を荒らげずとも人は動く、とラビが示す静かな導きのあり方
申命記34章10節には「וְלֹא־קָם נָבִיא עוֹד」(ヴェロ・カム・ナヴィー・オド)という表現がございます。直訳すれば「再び起こらなかった、預言者は」となり、「カム(立つ)」が完了形で用いられ、モーセの特別性を静かに示す語法とされております。また「עוֹד(オド)」は「再び」「もう一度」を示す語で、唯一性を柔らかく強調する響きを持つとされております。
【ラビの教え:11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)】
ラシは、この節における「立つ(カム)」という語に注目し、モーセのリーダーシップが「力強い支配」ではなく「静かな存在感」によって成り立っていたと述べる。ラシによれば、モーセは人々を押し出すのではなく、必要なときにそっと前に立ち、必要なときには後ろに下がる人物であったとされる。ラシは、この「立つ」という語が、単なる身体的な動作ではなく、「人々の前に立つ資格を与えられた状態」を示すと解説する。
ラシはさらに、モーセが荒野での長い旅の中で、民の不満や混乱に対して声を荒らげることなく、まず耳を傾ける姿勢を保っていたと述べる。ラシの解釈によれば、リーダーシップとは「語る前に聴く」姿勢に宿る可能性があるとされる。
「先に怒らず、まず相手の気持ちを受け止める人が、自然とみんなの前に立つようになる」ということであろうとラビは示す。
またラシは、モーセが自分の力を誇示するのではなく、民の弱さや迷いを理解しようと努めた点に注目する。ラシは「理解しようとする姿勢が、導く力を生む」と述べ、強さよりも「寄り添う姿勢」が人を動かすのではないかと示唆する。ここには、人間の本質として「安心できる相手に従いやすい」という側面があるとラシは見ている。
さらにラシは、モーセが自らの役割を「自分のため」ではなく「民のため」に受け取っていた点を重視する。ラシによれば、リーダーとは「自分が中心に立つ人」ではなく、「人々が進む道を照らす人」である可能性があるとされる。モーセが荒野で示したのは、命令する力ではなく、「共に歩む姿勢」であったとラシは述べる。
ラシの視点に立てば、現代におけるリーダーシップもまた、声の大きさや強い主張ではなく、「静かに寄り添う姿勢」から始まるのかもしれない。ラシは、モーセの生涯を通して「導くとは、支配することではなく、支えること」と示しているように思われる。「優しい人のそばにいると安心してついていける」という、誰もが知っている感覚を大切にすることが、リーダーシップの根にあるとラビは述べる。
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