過越の「子羊」が語りかける、もう一つの物語
- 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)

- 4月1日
- 読了時間: 4分
過越の「子羊」が語りかける、もう一つの物語
出エジプト記12章3節から5節にかけて、イスラエルの共同体に過越の子羊を準備するよう命じられる箇所が登場します。
この箇所で繰り返し用いられる「子羊」という言葉、ヘブライ語では「セー」(שה)です。原文をひもとくと、この「セー」という単語は、単独では「一匹の羊」を指しますが、文脈によっては「羊の群れ」全体を象徴することもある、実に奥深い表現であります。
また、3節で「一軒の家に一匹の子羊」と命じられながら、4節では「家の人数が少ないときは、隣の人と一緒にとる」と、その柔軟な運用が示されております。この「家」という単位と「人数」という個の視点が、律法の中でどのように調節されているか。ラビたちはこの点に、単なる儀礼の枠を超えた深い示唆を見出してまいりました。
11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)は、この過越の子羊に関する一連の箇所を解説する際、ある一つの動詞に鋭く焦点を当てます。
それは4節にある「見積もる」という言葉です。家の人数に応じて子羊を「見積もる」という、一見すると事務的なこの指示に対して、ラシはこう述べます。「人は、自分が食べる量を計算して、子羊を選ばなければならない。これは、過越の祭りが『食べること』を通じて、自分自身を律する機会であることを示している」。
ラシの解説によれば、この「見積もる」という行為は、単に物理的な量の計算に留まりません。人は自らの欲求と向き合い、本当に必要なものが何かを、この瞬間に改めて問われることになります。子羊を一匹、無条件に用意すればよいのではなく、その家に集う一人ひとりの存在を思い、彼らがどれだけのパンを必要とし、どれだけの苦菜を口にするのかを、丁寧に想いを巡らせる。その営みそのものが、過越の祭りの核心へと導く準備であると、ラシは捉えているのです。
さらにラシは、この子羊が「エジプトの神々」と呼ばれていたことに触れます。当時、羊はエジプト人にとって神聖視される動物でありました。ラシの視点に立てば、イスラエルの民がエジプトの地で、目の前で崇められているものを自らの家の中心に屠り、それを食べるという行為は、単なる宗教的儀礼ではなかったことが見えてまいります。
それは、長年支配してきた「見えない力」への恐れを、その真っ只中で食い破るような、極めて主体的な行為であったと、ラシは解説しています。彼らは奴隷として、支配者の価値観を内面化して生きてきました。しかしこの夜、彼らはあえてその支配の象徴を、自らの家族と共に「食べる」という、最も日常的でありながら最も根源的な行為によって、その支配から自らを切り離すのです。
ここでラシは、もう一つ重要な視点を加えます。それは「家」の単位です。子羊は個人でとるのではなく、あくまで「家の単位」でとることが命じられます。ラシによれば、これは「弱い者を一人にしない」という、共同体の最も繊細な配慮の現れであるとされます。
もし一人で過越の食事をとることが許されるならば、経済的に困窮している者や、家族を失った者は、その孤独がより際立ってしまう。しかし「家」という単位で、隣人と共に一匹の子羊を分かち合うようにと定められたことで、そこに自然と「共にいる」という関係が生まれます。ラシの解説をたどりますと、律法はこのようにして、儀礼の形式的な正確さよりも、むしろ人の心が置き去りにされないような構造を、深いところで組み込んでいることが浮かび上がってまいります。
ラシはさらに、この「食べる」という行為が持つ教育的な側面にも言及します。彼は、過越の食事の中で子羊を食べる際に、その子羊の骨を折ってはならないという掟についても解説しています。この骨を折ってはならないという掟を、ラシは「急いで食べるためではない」と解釈します。むしろ、ここには「この子羊は、単なる食物ではない。それは、救いそのものの記憶である」という、ある種の慎みの精神が込められていると、ラシは述べます。
すなわち、私たちは何かを「食べる」とき、そこに命があったことを忘れがちであります。しかし過越の子羊を食するとき、人はその子羊が屠られ、焼かれ、自分の口に入るまでの一連の過程において、そこに「与えられた命」があることを、噛みしめるようにして味わうことが求められている。ラシの解説は、この一見すると小さな掟の奥に、人が日々の糧をいただく際の、最も根源的な姿勢を示しているのかもしれません。
過越の子羊を「見積もる」という、一見すると地味な行為のうちに、ラシはこれほどに多くの人間への深いまなざしを見出しておりました。もしかすると、私たちが大切だと見落としている日常の一つひとつにも、同じように、誰かと共にあることの意味が、静かに織り込まれているのかもしれません。
こちらの内容は、漫画『モーセ五書 出エジプト記』(全巻)にて、より詳細に描かれております。もしご関心がおありでしたら、ぜひお手に取っていただけますと幸いです。



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