痛みで眠れない夜の祈り方
- 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)

- 3月20日
- 読了時間: 4分
痛みで眠れない夜の祈り方
真夜中、足首が燃えるように痛んで眠れない。どんな姿勢を取っても疼きが治まらず、ただ時が過ぎるのを待つしかない夜は、誰にでもあるもののようです。
荒野の旅のさなか、ミリヤムは兄モーセに対して批判的な言葉を口にしました。その結果、彼女はツァラアトに罹り、雪のように白くなります。アロンがモーセに執り成しを求めると、モーセは姉のために祈りました。彼女は七日の間、宿営の外に閉じ込められ、その後ようやく癒されて戻ってきます。身体の痛みと隔離の苦しみの中で、彼女がどのような思いで日々を過ごしたかは、想像に難くありません。
民数記12章13節
「モーセは主に叫んで言った『どうか、彼女を癒してください(エル・ナ・レファ・ナ・ラ)』」
ヘブライ語の「ナ(נָא)」は、強い懇願を表す間投詞です。「どうか」「お願いです」という切迫したニュアンスを含みます。「レファ(רְפָא)」は「癒す」という命令形。直訳すれば「癒してください、どうか、彼女を」となります。この一言に、兄としての悲痛な叫びが凝縮されているのです。
【ラビの教え:ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)】
11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)は、このモーセの祈りの言葉「エル・ナ・レファ・ナ・ラ」の特異な構造に注目します。
ラシの解説によれば、この短い祈りには五つの言葉しかなく、その中に二度も「ナ(どうか)」が現れます。ラシはタルムード(ベラホート34a)の教えを引きながら、モーセがなぜこれほどまでに短く、しかし切迫した祈りを捧げたのかを考察します。
一つには、モーセは「姉の苦しみを一刻も早く終わらせたい」という一心から、余計な言葉を削ぎ落としたのだとラシは述べます。長々とした祈りよりも、真に切羽詰まった時の祈りは、むしろ簡潔であるというのです。これは痛みの中で言葉にならない叫びをあげる人間の姿を映しているのかもしれません。
またラシは、この祈りが「癒し」だけを願っている点にも注目します。モーセはミリヤムの罪の赦しを直接は祈っていません。ラシの視点では、これは「まず癒しを」という優先順位の表れであり、苦しむ者の痛みを最優先する神の憐れみを示唆しているとされます。
さらにラシは、この「ナ」という言葉に、単なる懇願以上の意味を見出します。それは「私は自分の無力を認めます。ただあなたの力に委ねます」という自己放棄の表明でもあると。モーセでさえ、姉の病を前にしては何もできず、ただ神にすがるしかなかった。その赤裸々な姿が、この二度の「ナ」に込められているのです。
ラシの解釈の独自性は、この祈りを「模範的な祈り」として提示した点にあります。すなわち、苦難の中での祈りとは、自分の正しさを主張することでも、神に条件を突きつけることでもなく、ただひたすらに「お願いします」と繰り返すことなのだと。
ラシの視点に立てば、痛風発作の激痛の中でどのように神にすがるか、いくつかのヒントが浮かび上がるかもしれません。
まず、痛みで頭が働かない時は、モーセのように短く簡潔な祈りでよいのかもしれません。「主よ、癒してください」ただそれだけを、息をするように繰り返してみるのも一案です。長い祈りの言葉を紡ぐ必要はなく、むしろ言葉にならない呻きそのものが祈りとして受け止められるというのが、ラシの示唆するところです。
また、痛みの中で「なぜ自分が」という思いが湧くことがあるかもしれません。しかしモーセはミリヤムの罪には触れず、ただ癒しだけを願いました。ラシの教えに従えば、私たちも「原因探し」や「自己吟味」を一旦脇に置き、純粋に痛みの除去を祈るという選択肢もあるでしょう。
さらに、「ナ」の持つ自己放棄の精神を思い出すのもよいかもしれません。「私はこの痛みをどうすることもできません。あなたに委ねます」という祈りは、痛みへの抵抗を手放す助けになることがあります。実際、痛みと闘おうとすればするほど筋肉は緊張し、かえって痛みが増すこともあるものです。
布団の中で足首を動かせずにいる時、あるいは痛み止めの薬が効くのを待つ間、短く「お願いします」と繰り返す。それもまた、紀元前から続く祈りの形なのかもしれません。
痛みの中の祈りは、ただ一言の「お願い」に尽きるのかもしれません。
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