今日は何の日?——過越祭の第7日目 海が分かれたとされる日を、ご一緒に眺めてみませんか
- 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)

- 4月8日
- 読了時間: 3分
今日は何の日?——過越祭の第7日目
海が分かれたとされる日を、ご一緒に眺めてみませんか
出エジプト記14章22節
「イスラエルの人々は海の中を乾いた地で歩いて行った」
ヘブライ語の原文では「ベトク・ハヤム」(海の真ん中で)という言葉が使われています。直訳すれば「海の中心において」——つまり、単に海の端を歩いたのではなく、完全に海の中を進んだという意味になります。ラビたちはこの表現から、当時の人々が感じたであろう驚きと恐れを読み取ってきました。
今日は、ユダヤ教の春の祭り「過越祭(ペサハ)」の第7日目にあたります。聖書にあまり馴染みのない方のために、まずこの祭りが何を記念するものなのかを、ラビの教えに沿ってご説明します。
約3300年前、今のイスラエルの人々の祖先はエジプトで奴隷でした。そこから奇跡的に解放された出来事を毎年思い起こすのが過越祭です。祭りは7日間続き、初日は「脱出した日」、そして第7日目は「紅海を渡り切った日」 とされています。
ラシはこの第7日目について、ある印象的な伝承を残しています。それは「ナフションの一歩」というお話です。
イスラエルの民が逃げているところへ、エジプトの軍隊が追いかけてきました。目の前には紅海。後ろには敵。誰もが「もう終わりだ」と絶望しました。そんな中、ナフションという一人の男が、何も言わずに海に向かって歩き出したのです。
水が足首に来ても、彼は止まりませんでした。膝に来ても、腰に来ても、胸に来ても——ついに水が首の高さまで達した時、それでも彼は前に進み続けました。その瞬間、海が左右に分かれた——これがラシの伝える話です。
ラシの解説によれば、この話が教えているのは「奇跡は待っていても起きない」ということかもしれません。私たちはつい「全ての条件が整ってから」「安全が確認できてから」動き出したくなります。しかしラシの視点に立てば、完全な保証がないからこそ踏み出す一歩が、道を開くのではないでしょうか。
過越祭の第7日目は、モーセという偉大な指導者の日ではなく、名も知れぬ一人の人間が「まず足を踏み出した」その勇気を、静かに思い起こす日なのかもしれません。
なお、この年代については諸説あります。伝統的なユダヤ暦に基づけば約3337年前、現代の歴史学ではもう少し新しい時期とする見方もあるようです。ただラビたちが大切にしてきたのは、数字そのものよりも「どんな状況でも前に進んだ人がいた」という事実なのだと、ラシの教えは示しているように思われます。
今日という日が、海を渡った日とされてきたことを、ラシの教えを通してご一緒に味わってみました。もし何か「やってみたいけれど怖い」ことがあるなら、ナフションのように小さな一歩を踏み出してみるのもいいかもしれませんね。
なお、この物語の詳細は『モーセ五書マンガ』(全巻・日本語版/英語版)に描かれております。よろしければ、そちらもご覧いただければ幸いです。



コメント