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神は正月なのに…なぜ「嘆きの期間」がセットなの? ユダヤ暦の深い智慧

  • 執筆者の写真: 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
    石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
  • 2025年12月18日
  • 読了時間: 4分

神は正月なのに…なぜ「嘆きの期間」がセットなの? ユダヤ暦の深い智慧


新年って、なんだかワクワクしますよね。


僕も毎年、新しい手帳を開くときは、今年こそ!と気持ちが引き締まります。でもふと、ユダヤの正月について学んでいたとき、あることに気がついたんです。


お祝いの「正月」と、嘆き悔い改めの期間が、セットになっているという事実に。


神が定めたこのリズムには、どんな意味が隠されているのだろう。その問いを胸に、僕はもう一度、モーセ五書の神の言葉に耳を傾けてみることにしました。


新年のラッパと、静かな嘆き


ユダヤの正月、ローシュ・ハシャナは、秋の祭りです。


その中心にあるのは、ショファールという雄羊の角笛を吹き鳴らすこと。旧約聖書・レビ記23章24節には、こう記されています。


「第七月の一日には、あなたがたのために全き休みの日、ラッパを吹き鳴らして記念する聖なる会合としなければならない」


ここで「ラッパ」と訳されているヘブライ語は、テルーアー。これは、震えるような、あるいは泣くような不連続音を指します。単なるファンファーレではなく、魂に響く「呼びかけ」の音色です。


このラッパの音は、何を記念し、何を呼び覚ますためのものなのか。


僕がこの箇所を読んでいて強く感じたのは、神が単に「新年おめでとう」という区切りを設けたのではなく、そこに深いプロセスを埋め込まれたのではないか、ということです。


十日間の「隙間」が問いかけるもの


実は、この正月(第七月一日)から、贖罪の日・ヨム・キプール(第七月十日)までの十日間があるのです。


ユダヤの伝統では、この期間をヤミーム・ノライーム、「畏れの日々」やアセレット・テシューバー、「悔い改めの十日間」と呼びます。


新年の喜びと、贖罪の厳粛さ。この二つの祭りの間に、神はわざわざ十日間という「隙間」を設けられた。


なぜでしょう。


僕はこう考えます。神は、私たちが新しい歩みを始めるとき、ただ前を見て突き進むだけではなく、一度立ち止まり、振り返る時間をどうしても必要とされるのではないか、と。


ラッパの音は、そのための「起床ベル」です。「さあ、目を覚ましなさい。あなたの日々、あなたの歩みを、わたしと共に見つめ直す時だ」という神の優しくも厳しい呼びかけ。


嘆きや悔い改めは、単なる過去の後悔ではありません。神の前に正直になることで、本当に清い心で、新しい一年の「門」をくぐるための、神が用意された尊いプロセスなのです。


心を整えて、門をくぐる


つまり、神が設けられたこの「嘆きの期間」は、新しい年にただ流れ込むのでなく、意図を持って入っていくための準備期間なのだと、僕は学びました。


新年のラッパは、「さあ、始めよう」という合図であると同時に、「その前に、わたしと共にあなたの心を整えなさい」という招きの音でもある。


これは、今を生きる私たちにも通じる大切なリズムではないでしょうか。


新しい目標を掲げるとき、新しい一歩を踏み出すとき、私たちはつい、すぐに結果を求めて走り出してしまいがちです。でも、神がユダヤの正月に教えてくださっているのは、歩みの質は、その前の「心の準備」で決まるということ。


どれほど祈り、どれほど自分自身と神の前に正直になり、心を整えるか。そこに、これから始まるすべての意味がかかっている。


このことを、モーセ五書は静かに、しかし確かに語りかけています。


僕はまだ、このリズムを自分の生活に完全に取り入れることはできていません。でも、何かを始めるとき、少し立ち止まり、目を閉じて、自分の心の向きを確かめる時間を持つようにはなりました。


それが、神と共に生きる、ほんの小さな一歩なのかもしれないと思うのです。


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神の言葉には、私たちが気づいていない、深い生活の智慧が溢れています。今回の気づきも、僕がマンガで描かせていただいているモーセ五書を読み、考えたことの一つです。


もっと一緒に聖書の世界を探求してみたい、という気持ちが湧いた方は、ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。


無料で読めますし、創世記から続きもどんどん公開しています。神が用意された、この深いリズムと知恵を、ともに学んでいきましょう。


 
 
 

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