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「口と心」は、あなたのすぐ近くにある ― 申命記30章14節

  • 執筆者の写真: 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
    石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
  • 4月10日
  • 読了時間: 3分

「口と心」は、あなたのすぐ近くにある ― 申命記30章14節


四千年前の荒野でモーセが語った、神と繋がるためのあまりにも身近な道筋


申命記30章14節(口語訳)には「まことに、みことばは、あなたのすぐ近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にあって、あなたはこれを行うことができる」と記されております。この箇所のヘブライ語原文「כִּי־קָרוֹב אֵלֶיךָ הַדָּבָר מְאֹד בְּפִיךָ וּבִלְבָבְךָ לַעֲשֹׂתוֹ」を直訳いたしますと、「なぜなら、あなたに非常に近いのだ、その言葉は。あなたの口の中に、そしてあなたの心の中に。それを行うために」となります。ここで「言葉」と訳されている「דָּבָר(ダヴァール)」は、単なる「言葉」を超え、「事柄」「命令」「神の御心」をも包含する、深みのある語でございます。


11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)は、この申命記30章14節について、非常に深い洞察を残しておられます。ラシは、この「ダヴァール(言葉)」を、具体的に「トーラー(律法)を学ぶこと、そして戒めを行うこと」を指していると解釈しておられます。そして、「あなたの口にある」という表現を「シェマ(申命記6章4節から始まる信仰告白)の唱えと祈り」に結びつけ、「あなたの心にある」という表現を「正しい意図、すなわちカヴァナー」に結びつけておられます。つまり、ラシの解説によれば、神と繋がるために特別な修行や、遠い場所への旅が必要なのではない。日々、私たちが口にする祈りや、心の中で神に向き合おうとするその純粋な気持ちこそが、まさに神の「言葉」をこの身に宿らせる道そのものだ、ということでございます。


さらにラビたちの伝統的な解釈をご紹介いたします。ユダヤ教において「心を尽くして神に仕える」という表現は、ラシによって「それは心の奉仕、すなわち祈りである」と説明されております。祈りのヘブライ語「תְּפִלָּה(テフィラー)」は、「結びつける」「繋ぐ」という意味の語根「פלל」から派生しているとされております。このことは、祈りが単なる瞑想ではないことを示唆しているのかもしれません。口を動かし、声を出し、耳で聞くという外面的な行為と、心の内側で静かに神を想う内面的な意図。この両者が組み合わさるとき、人は神の慈しみを受け取る「器」となるのだ、とラビたちは教えております。心が空っぽに感じられる時には、祈りの言葉を口にすることが心を呼び覚まし、逆に言葉が出ない時には、内なる意図が口を動かす助けとなる。この相互作用こそが、神との真の「繋がり」を生み出す源泉であるのかもしれません。


ラシのこの解釈を踏まえますと、「神と繋がる」とは、遠い雲の上にある神秘的な体験を求めることではなく、今、この瞬間、私たちが自分の「口」と「心」を神に向ける、その具体的な一歩の中に既に存在している、という見方が浮かび上がってまいります。申命記のこの箇所が「非常に近い(מְאֹד)」と強調しているのは、まさにそのことを指し示しているのでございましょう。


モーセが荒れ野の民に語りかけたこの言葉は、現代を生きる私たちにとっても、すぐ手の届く、あたたかな光なのかもしれませんね。なお、モーセ五書マンガでは、このようなラビたちの教えも物語の情景とともに、より深く味わっていただけるよう工夫しております。ご興味がおありでしたら、Amazonにてご覧いただけますと幸いです。



 
 
 

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