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夜、息苦しくて眠れない時に開きたい、とある族長の話

  • Writer: 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
    石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
  • 7 days ago
  • 3 min read

夜、息苦しくて眠れない時に開きたい、とある族長の話


目を閉じると不安が押し寄せるあの感覚は、数千年前から続いているのかもしれません


創世記32章。長年の確執があった兄エサウと、ついに再会する前夜のことです。ヤコブは家族や財産を先に川を渡らせ、自らは一人、闇が濃く広がる谷に残りました。明日の安全は約束されていません。先に送り出した者たちは無事でいられるのか、兄は自分を許してくれるのか。静まり返った夜気の中、積年の罪悪感と不安が、彼の胸を締め付けていたことでしょう。


創世記32章24節。

「ヤコブは一人残された。そのとき、彼と共に夜明けまで戦う人(イシュ)があった」

原文で使われている「イシュ(אִישׁ)」は、単なる「男」を指す一般的な言葉です。しかし、それが天使なのか、幻なのか、あるいは別の何かなのか、聖書の記述はあえて特定していません。


【ラビの教え:11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)】

この「人」とはいったい誰なのか。11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)は、この人物を「エサウの守護天使」であったと解説しています。


ラシの視点は独特です。なぜヤコブは一人でそこに残ったのか。彼は、ヤコブが小さな壺を取りに戻ったためだと指摘します。既にすべてを向こう岸に渡し終えた後、彼は「小さな壺」、つまり取るに足らないものを忘れたことに気づき、それを取りに単身、闇の中へと戻っていったというのです。


ラシはこの行いに、ヤコブの「徹底した誠実さ」を見ています。誰も見ていない夜中に、誰も気にしない小さな壺のために、危険を顧みず戻る。そのような細やかな行動にこそ、彼の人間性が表れているとラシは述べます。


しかし、その誠実さゆえに、彼は闇の中に一人取り残され、不安と向き合うことになりました。守護天使との格闘は、単なる物理的な戦いではなく、彼の内なる恐怖、罪悪感、そして自らの弱さとの格闘の象徴でもあったのかもしれません。ラシはこの闘いを、ヤコブが自らの影と向き合い、統合していく過程として捉えているように思われます。


なぜなら、この格闘の後、ヤコブは「イスラエル」(神と戦う者)という新しい名前を与えられ、翌日、兄エサウと対面する際には、臆することなく、しかし深い謙遜をもって兄に近づいていくからです。闘いの夜を経て、彼は「弟ヤコブ」から「族長イスラエル」へと変容したのです。


ラシの視点に立てば、夜の不安や息苦しさは、私たち自身の内面の「何か」と向き合う時間なのかもしれません。


例えば、眠れない夜に反芻してしまう悩みごと。それを無理に追い出そうとせず、ラシがヤコブの「小さな壺」に注目したように、自分の中で気になっている「小さなこと」に、あえて意識を向けてみるのも一案です。


あるいは、日中は忙しさに紛れていた「自分ではどうにもできない不安」を、ヤコブが夜通し格闘したように、「ただそこに在るもの」として認めてみる。そうすることで、朝を迎えたとき、少しだけ心の重さが変わっているかもしれません。


さらに、ヤコブが新しい名前を得たように、不安な夜を過ごした自分に、「今日だけはこれを大切にしよう」という小さな誓いを立ててみるのも良いでしょう。夜の闘いは、決して無駄ではないのかもしれません。


闇と向き合う時、人は本当の自分に出会うのかもしれません。


夜の静けさの中で訪れる息苦しさや不安は、何かを伝えようとしているサインなのかもしれませんね。創世記32章のヤコブの格闘の夜は、モーセ五書マンガ『創世記編』第6巻で詳しく描いております。もしご興味がございましたら、そちらも手に取っていただけますと幸いです。


 
 
 

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