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救いを阻むのは「かたくなさ」より「疑い」だった?【紅海の一歩前に隠された真理】
救いを阻むのは「かたくなさ」より「疑い」だった?【紅海の一歩前に隠された真理】 疑いが、かたくなさに変わる瞬間 僕がモーセ五書を読みながら気づいたのは、神の救いの道が閉ざされる直接的な原因は、単なる「心の重さ」ではなく、その根底にある「疑い」から始まる、ということでした。 かたくななファラオも、かたくななイスラエルの民も、その原点には、神の言葉に対する「本当に?」という疑いがあったように思えてならないのです。 そして、聖書はこの「疑い」が「かたくなさ」へと変わる瞬間を、実に鮮明に描いています。 ヘブライ語が語る「信じる」ことの重み 「疑い」の反対は、「信じる」ことです。 この「信じる」という行為を表すヘブライ語は 「アーメン(אמן)」。 語根の意味は「確かにする」「支える」「信頼する」です。 これは、単なる頭の同意ではなく、自らの存在をその上に据え、よりどころとする全人格的な「よりかかり」を表しています。 出エジプトの始まりの場面で、この「信じる」ことが問題になります。 神がモーセを遣わし、民に解放の約束を告げた時、聖書はこう記します。...

石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
3 時間前読了時間: 4分
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