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不倫が「罪」と呼ばれる、その深い理由 十戒の言葉に隠された、ラビたちの静かなまなざし

  • 執筆者の写真: 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
    石川尚寛(Naohiro Ishikawa)
  • 5月7日
  • 読了時間: 3分

不倫が「罪」と呼ばれる、その深い理由


十戒の言葉に隠された、ラビたちの静かなまなざし


出エジプト記20章14節にある「姦淫してはならない」という言葉をご一緒に拝見させていただきます。この原文のヘブライ語は「לֹא תִנְאָף(ロー・ティンアフ)」です。この「ティンアフ」という動詞は、未来形・二人称・男性単数の形をとっております。興味深いことに、この言葉は既婚の女性が関わる行為に特に焦点を当てた表現で、「姦淫」と訳されます。単なる男女の関係ではなく、婚姻という神聖な契約の間に入り込む行為を、聖書はここで明確に区別しているのです。


11世紀フランスのラビ、ラシ(シュロモー・ベン・イツハク)の、この戒めについての解説に、しばし耳を傾けさせていただきます。


ラシはこの「姦淫」という行為について、非常に明確な線引きを述べています。ラシの解説によれば、ヘブライ語の「נִאוּף(ニウフ)=姦淫」という言葉は、聖書の言語において、常に「既婚の女性と、彼女の夫ではない男性との関係」を指す言葉だというのです。つまり、この戒めは、婚姻関係にある女性を対象として語られている、とラシは指摘します。


この解釈から何が見えてくるのか。ラシの視点は、ある大切な真実に光を当てているかもしれません。それは、聖書が単に「欲望を抑えよ」と言っているのではない、ということです。むしろ、不倫という行為が、ある人とある人の間にすでに存在している「契約」を破壊するからこそ、禁じられているのだと、ラシは教えてくれているように思われます。


ラビの伝統的な理解では、結婚は神の前での厳粛な契約(ブリット)です。その契約によって結ばれた二人の領域に、第三者が足を踏み入れること。それは、物理的な行為の問題である以上に、目に見えない聖なる契約を深く傷つけ、三つの魂の関係性を根底から引き裂いてしまう行為だと、ラシの言葉は示唆しているのかもしれません。


もう一歩踏み込んで考えてみますと、ラシの時代のユダヤ教の法廷では、不倫は財産や感情の問題ではなく、神に対する罪であり、社会全体の聖性を損なうものと捉えられておりました。他者の最も親密な契約に土足で踏み込むことが、いかにその人の尊厳を踏みにじり、共同体の信頼という織物をほどいてしまうか。ラシの教えの根底には、そうした人間関係の本質への深い洞察があるのかもしれません。


つまり、ラシは「盗むな」という戒めが金銭や物を守るように、「姦淫するな」という戒めは、何よりもまず「他者と神の間にある契約という財産」を守るものだと位置づけているのです。


ラシの視点に立てば、この戒めは、外側の行動だけでなく、私たちの内側にある「境界」に対する感覚を問いかけていると考えることもできるかもしれません。すでに神の御前に築かれた関係性を、どれほど神聖なものとして敬い、一線を引き続けられるか。それは、人間を道具としてではなく、尊厳ある契約の主体として見つめる、静かで力強いまなざしなのではないかと、そのように思えてくるのです。


聖書の「罪」という言葉は、神聖な契約と、誰かの尊厳を守るための境界線に光を当てているのかもしれません。漫画版『モーセ五書』では、これらの戒めの言葉が古代の人々にどのように響いたのか、その情景を丁寧に描いております。ご興味がおありでしたら、Amazonにてご覧いただけますと幸いです。

 
 
 

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