• 石川尚寛(Naohiro Ishikawa)

お問合せありがとうございます。

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先日、10年前に出した本を読まれた方からお問合せをいただきました。

とてもありがたい気持ちでした。

当時、私は瞑想の研究が主体でした。その名残で、このホームページのドメインは、

メディテーションという言葉が入っています。

今私は、瞑想を毎日行っていますが、以前のような神秘的な体験を求める瞑想をしていません。

なぜなら、瞑想に神秘的なものを求めると、薬物依存の方向に向かうことが多いからです。

もっと日常的な神と共にあることを求めると、

それは特別な座法や修行的なものでなく、

限りなく日常的な空気を吸うようなものになると思います。

気がついた時に、アーメン(その通りです)

ハレルヤ(主をたたえます)

ととなえることでも十分な瞑想ではないかと私は思っています。

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強く生きる 私たちは家畜ではありませんが、 家畜のように大人しく生きています。 だから大自然の中で、野生動物のように生きることは出来ません。 社会の中で、温存されて生きています。 しかし、この弱さがあらゆるところで、ほころびを生じさせます。 まずメンタルの弱さです。 私たちは信じるものを失うと、途端に弱くなります。 アナボコだらけの道の上を真っ暗な中で歩くようなものです。 そこで、絶対的に信じるも

どちらにも執着せず、 そして日和見でもない そんな選択をしようかと思っています。 神と共にあることが第一だと思います。

どうして瞑想が必要なのかと考えますと、 特に普段は必要ないかもしれません。 しかし、自分を正常に保てない時は瞑想が役立つと思います。 正常に保てない時というのは、 体調が悪い時 気分がすぐれない時 眠れない時 苦痛な時 気持ちの衝動を抑えられない時 落ち着かない時 などなど そんな時に、心が落ち着くことができれば正常に戻ることができるかも知れません。 私は、ハレルヤ瞑想をしています。 これは、両手